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自然に種は蒔かれて

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町を歩くと、知らない人が挨拶してくれる。
軽く頭を下げたり、ニコッとした表情を見せたり、「こんにちは〜」と自然な声を発するときもある。
近くをすれ違うときに限らず、互いの距離があっても、姿を認識すると何気に挨拶を交わす。

町へ来たばかりの頃は、「あ、挨拶された」といちいち思っては、こちらも返す。それが一年経ってみると、いつの間にか自分も何気な挨拶をするようになっている。
軽く頭を下げたり、ニコッとしてみたり、「こんにちは〜」と言ってみたり。
ルールがあってしているわけじゃないので、そのとき自然に自分から出るスタイルでする挨拶。

断っておくけれど、「知らない人同士でも挨拶しましょう」なんてことが言いたいのではないので、早合点しないでほしい。

いつの間にか、自然に、知らない人と挨拶を交わす自分。
そうしている自分に気がつき、ふと思った。
そうか、種を蒔かれていたのだなあ。

もちろん、挨拶をしてくれる町の人たちに、「種を蒔く」なんて意識はない。
「挨拶の種を蒔いて、挨拶し合う結果を得よう」などと意図的な考えがあってする挨拶ではない。
だから、わたしに根付いた「挨拶の種」は、風が種を運んでくるように、あるいは鳥が落とす糞に種が混ざっていたみたいにしてやってきて、知らないうちに芽生えたものなのだ。

断っておくけれど、「さあ、みんなもよい種を蒔きましょう」なんてことが言いたいのではない。

「挨拶の種」のおかげで、わたしは町で、ささやかな気持ちよさの実を味わっている。
それは、努力して知らない人との挨拶を身につけたから得る結果ではない。挨拶を交し合う「気持ちよさ」を得ようとしてもたらされる結果でもない。
知らない人から、自然に種を蒔かれて、自然に気持ちよさを知って、それだけのこと。
元々の種を持っていた人たちは、わたしが今、そのことにどれほど感激しているか知らないのだ。

人は結果を求めたがるでしょ。
できれば思いどおりの結果を、できるだけ大きな結果を、実態があって他人に見せられるほどの結果を。
それもなるべく早く、解りやすく、結論づけられるようなものを得たがる。
そうして、どんな種を蒔くといいとか、こんな蒔きかたをするといいとか、流行りものを追いかけるように、評判のいいやり方や考え方に飛びつく。

でもさ、自分が知らないところで、思いも寄らぬ誰かの中で、ささやかな実が生っていて……。
自然界の営みに似たことが、じつはあちこちで起こっているのだ。
一年やそこらの短いスパンで気がつくこともあれば、たとえば子どもの頃に蒔かれた種に、何十年もしてようやく気づく長いスパンのものもある。

断っておくけれど、「誰かの中で育つように、善き種をたくさん蒔く人になりましょう」なんて言ってない。

風や鳥が運ぶように、自然に蒔かれる種がある。
親から来た種、逝ってしまったじいちゃん・ばあちゃんが置いていった種、身近な人から弾けた種、名前も知らない顔も憶えていない人から飛んできた種。
そんな種が自分の中にたくさんあって、いつの間にか根付いて実が生っていることに気づく。

断っておくけれど、「自分の中に生る実に気づきましょう」などと言いたいのではない。

誰の中にも、たくさんの種が蒔かれている。
意図されず、自然に蒔かれた種が、知らずとも芽生えて今も育っている最中なのだ。
そんなことを思うと、感激の事実に触れたようで、種を蒔かれる身に嬉しさがまた込みあげてくる。

ioWEB> <魚の庭
・4年前の今日の日記 「誘拐気分」
・5年前の今日の日記 「よせばいいのに寄席」
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