いとしき日々

20121110a

ときどき思う。
人間は面倒くさいな、と。
だから、早く人間界を卒業してしまいたい、と。
卒業して、人間の世界にいるのは、これを最後にしてください。
自分の神さまに、そんなふうに言ってるときがある。

でも、そんなことを神さまに言ってる自分は、まだまだだなとも思う。
まだまだだから、きっとまた、人間界に戻されてしまうのだろうな、と。

ただ、今の、今世の自分で生きることは絶対にないし、「今度こそ!」と思ったとしても、なかなか順番が回ってこなかったり、あるいは許可が下りなかったりするのかもしれない。
たぶん、きっと、そう。
だから、降りた地上の人間界で、いっぱいいっぱいでも自分を生きる。
そうするしかないのだ、という答えに毎度戻っていく。

バーミヤンでご飯をしていたら、しっとりいい感じの曲が流れて、つい聞き入ってしまった。
何の曲だっけ?
そうだ、そうだ、ドラマ『「JIN -仁-」』で流れてたやつ。
平井堅さんの「いとしき日々よ」。

安い中華をぱくつきながら、深遠な何かを感じながら思いに浸ってる自分の姿は、脳裏に浮かべると滑稽で、「バカ!」と言ってやりたくなる。
滑稽でバカではあるが、心の底から湧いてくる思いは確かに自分の中にあるものなのだ。

この時代にいるように生まれてきたこと。
ときを同じく誰かと重ねるために、生まれてきたこと。
これらが計画どおりなのか、予想外かはいざ知らずとも、奇跡に思える。
起こった奇跡の中で、どうやって、どんなふうに、共に自分を生きて、共にいられるか。

結局のところ、人はみんな気持ちよく共にいたい生き物なのだと、わたしは思っている。
「共に」というのは、べたべたくっついて一緒のいることではなく、せめて、せめて、わだかまりを持たず持ち越さず、それぞれの場所で生きること。
問題が起きたとき、わたしはこの「せめて」を考える。
そして、せめて自分のわだかまりは解消しようと努めてみる。

相手を認めること。
相手の中に自分が感謝すべきところを見つけること。
相手も自分と同じように、いとしき日々を重ねる愛しい存在であること。

頭が考えだす理屈でなく、心が感じるところに意識を向けるのだ。
不思議と、これが相手を動かしたりするものだ。(ホントは不思議じゃないのだけれど)
そんなことが起こると、やっぱり奇跡の中にいるのだなあ、と泣きそうになる。

以前、十歳ほど上の校正のおねえさんがお酒の席でうっとりした声で言ったのをたまに思い出す。
「あたしさぁ、死ぬときは、『ああ、あれもしたかった、あんなこともしたかった』って思いながら逝きたいのよねぇ」
聞いてるときは、「後悔しながら逝きたい」と言ってるようで不可解だったが、時が経つにつれだんだん分かる気がするのだ。
おねえさんは、言葉どおりをうっとり言ったのではなく、この世への愛しさを籠めていたのかと。
「いとしき日々への思いを持って逝きたい」、そういう意味だったのだろう。

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