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辻褄合わせ

20110111a

中学に入って少しした頃、帰りの地下鉄の中で、同じクラスの子と「将来、どうする?」みたいな話になって、私は「短大の英文科を出て、スチューワーデスになる」なんてことをツラツラと口走った。
スチューワーデスになるなんて、思っていたわけではない。
口が勝手に言っていたのだ。
不思議なのは、言ってみてから、自分で将来の道筋が見えた気になったことだった。
だからというのではないが、将来のことを訊かれたときに、“短大→英文科→スチュワーデス”と何度か言った気がする。
そうやって口にしてみると、それが本当に自分の進路のように思えてきて、自分も、聞いた相手も納得する感じがあった。
だって、すごく分かりやすい、理解しやすい道筋だもの。

でも、本当に?
本当にそうしたいのか?
本当にそうなりたいのか?
そう、“本当に”ってところが自分にとっての肝心なところ。

分かりやすい辻褄合わせの展望、夢、将来のビジョン。
それを口にすることを、中学生の私は無意識に、とっさにやってのけ、よくできた嘘で自分も相手も納得させる術を覚えた。
それでもよかったのは、嘘めいているのを自分で感じていたことだ。

オトナになって、いつのまにか、私は将来の展望とか夢とか、簡単に口にできなくなっていた。

安易に言えないのは、口が辻褄あわせをしてしまうから、かもしれない。
でもって、辻褄の合った嘘くささを感じると自分で心地悪いのだ。
その心地悪さを知るために口にしてみるのも一つの手ではあるけれど、いつからどう覚えたのか、願望を自分の中で温めたり膨らませたり、そして本音かどうか精査するようになった。
自分にいくら訊いても、本音が分からないときもある。
本音に行き着くのが怖いときもあって、長いこと保留になったりもする。

肝心なのは、辻褄の合う道筋ではない。
でも、道筋や計画性の辻褄が合わないと、寛容に聞き流してくれる人が相手ならいいけれど、茶々を入れられる危険もある。
そこには用心しないと。

知り合いに、10年以上、ことあるごとに変わらずに将来の夢を語る人がいた。
はじめのうちは、計画に満ちた将来の話に、やりたいことがあっていいなあと思った。
「私には夢があるから!」
毎度、張り切った口調で終わる話。
それが、だんだん「夢があるから、今はいいの」に聞こえてきて、あるとき言ってしまった。
「その夢、いつやるの?」
凹ますつもりではなくて、つい思っていたことが口を突いて出てしまった。
一瞬、会話が止まった。
「うーん、あと10年くらいしたら」
『そうか、そうか』という感じで、私は笑い流し、その人も笑っていたっけ。

夢やビジョン(将来の構想)は、自分を納得安心させる道具になる。
それを支えに、遠くに希望の灯を見て、日々をやり過ごすことができる。
それでも、希望をすっかり失ってしまうよりはいいのかもしれない。
それに、いつのまにか本当のことにすり替わっていく可能性も無きにしも非ず。
形を微妙に変えて、現実になっていくこともある。
だから、夢にしろ希望にしろ、ビジョンの持ち方は、そのときその人が自分にいいように持って構わないと思っている。

夢やビジョンは、実現のためのものなのか。
実現しないから夢なのか。
人によって、夢やビジョンの定義はいろいろ。

私にとっては、夢やビジョンを言葉にすることより肝心なのは、
「本当に?」「本当は?」と自分に問うこと。
辻褄合わせは、自分には通用しない。
通用しない心地悪さの感覚を知っているのは、大事なことなのだ。


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