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マヤちゃんのゴディバ

その年のバレンタインは、義理チョコから完全に手を引こうと決めていた。
優柔不断に、「それでも、あの人にはちょっと世話になってるし……」の今でいう世話チョコ的思いにも一切流されたりせず、私は非情な女になる気満々だった。

何しろ、元上司が仕掛けた不本意な人事異動で、会社員生活最悪の状況に私の心は荒んでいた。
日々、考えることといったら、配属されて数ヶ月の部署をどう脱出するか。
今にしてみれば、あの最悪に思えた状況が幸いして会社員生活が刷新できたのだから、ジタバタしたことが笑えるくらいなのだが、渦中にいた当時は、甘ったるいチョコイベントなんかで周囲に隙を見せてはいけないと意気込んでいたのだ。
本当は、そういう時こそ隙を見せて懐柔作戦に出るくらいの機転があればスマートだったのだろうが、私はしたたかな戦略家になる余裕が持てず、正面から開かない扉に体当たりするしかなかった。
「わたしを他所へ出してください。ここではわたしは活かされません」
機会があるたびに私は新しい部長に訴えていた。

そんな時期のバレンタイン・デーを目前に、同じ部にいた派遣社員のマヤちゃんがひそひそ声で訊ねてきた。
「チョコレート、どうします?」

マヤちゃん、30歳。
気立てがよくて愛嬌のある美人ちゃんなのに、なぜか彼氏いない歴が長そうなオーラが出ていて、案の定、マヤちゃんには付き合ってる人はいなかった。

身を低くして机の影に隠れながら上目づかいで訊ねるマヤちゃんに、私はちょっと申しわけないふうを装い、
「ごめん。わたし、義理チョコは卒業したの」
と告げた。
私が配属された部には、老若男子部員が部長を含めて5名。その義理チョコ5人分の資金を年下のマヤちゃん一人に負わせるのは気が引ける。だが、ここでひるんでは甘ったるい女子社員と思われかねないのだ。チョコで親睦を計るより大事なことがある。私の会社員生命をこの部署で埋もらせるわけにはいかない。非情な女になる決意を崩してはいけないのだ。
そんな心の内の葛藤を抱え、済まなそうに見せている私の気持ちを察したのか、察するわけがないけれど、マヤちゃんは素早く「わかりました!」と快諾してくれた。
これ幸いな表情は輝いてさえ見えた。

 なんだ、気にすることなかったわい。

どうやらマヤちゃんは、一人で義理チョコするほうがよかったらしい。
そのマヤちゃんが、再度、私の席にやってきた。

「やっぱり、ゴディバですよねえ」

 えーーーーっ!
 義理チョコにゴディバ?!

マヤちゃんの太っ腹さに目を開いてのけぞりかけると、
「やっだ、全員にじゃないですよ!
 アイツだけですよ、当たり前じゃないですかあ」
そう言いいながら、私の肩をパシパシ叩くマヤちゃんの目に、したたかな戦略家の炎を見た気がした。

マヤちゃんの企て。
義理チョコを隠れ蓑に一人にだけ本命チョコを渡そうというもの。
どおりで「これ幸い」って顔をしたわけだ。で、ゴディバはもちろん本命の一箱だけ。

その本命とは、歳はマヤちゃんより一つか二つ上で、ルックスは悪くない。ただ、雪国出身のせいなのか、やけに寡黙な男で、彼女がいるのかいないのかはもちろん、彼のプライベートは同年代の同僚たちにもほぼベールに包まれていた。
雪国くんに狙いを定めたマヤちゃんによれば、
・彼の寡黙は素朴
・話しかければ、けっこう喋る
・シャイがゆえに、なかなか恋愛のチャンスがない
という身近な掘り出し物。マヤちゃんには、雪国くんがダイヤモンドの原石に映っていたに違いない。

 わたしが彼を変えてあげたい。

のちに聞いた彼女の言葉が、私の耳にはすでに聞こえていたように思う。

・中高生ならともかく、チョコで恋が進展するわけがない。
・3年近くも同じ職場にいる者同士、いい仲になるなら、とっくになってるだろう。
・きっかけをくれてやらなきゃ動かない男なら、うまくいったところで、その後も一々お尻を突っついてやる羽目になりそうで面倒くさそう。

こんな考えは、恋の狩人になったマヤちゃんを前にすると、自分の荒んだ心を現しているように思えた。
他人の恋路に水を差す気はないので、私はマヤちゃんの勇気を称え、心から応援することにした。
「ゴディバなら間違いないよ」
と言っただけだけど。

本気の告白チョコなんて、見たことも噂に聞いたこともなかった。それも彼女の年頃なら当然、“結婚”の二文字があったはず。
もしかしたらチョコごときがきっかけで、とんとん拍子に結婚まで行ってしまう奇跡が起こるかもしれない。

私は他言しなかったのだが、開けっぴろげなマヤちゃんの企ては、他の部署の女子たちにも知れていた。その誰もが、そんな期待に興奮していたように思う。

バレンタイン・デー当日、昼休みがまもなく終わろうとする頃に更衣室に入って行くと、
「やりましたよ、やりましたよ!」
と、ある女子が教えてくれた。
化粧直しを終えかかっている誰もが満足げな表情に見えた。
と、
「アイツ、まさかゴディバを知らないなんてことないですよねえ?」
辛口のアイちゃんの発言に、皆が爆笑した。
べつに雪国くんを馬鹿にしたのではなく、彼女は単に場を盛り上げようとしただけのこと。のはずだが、5%くらいに「まさか」と思ったのは私だけじゃなかったかもしれない。

当のマヤちゃんは、落ち着きはらった様子で早々と自分の席にいた。彼女の体からは、やり遂げた感のオーラが放たれているようだった。
今度は、私がひそひそ声で彼女に尋ねた。
「メッセージとか付けた?」
いつになく情熱的な目が「もちろん」と答える。

 “今度、飲みにいきましょう。”

そのメッセージとゴディバが雪国くんにどう伝わったかはともかく、私は今でもあのバレンタイン・デーを忘れない。
もっと言うと、その1ヵ月後のホワイト・デーのほうが忘れられないのだが、それはまた今度、書くとしよう。
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