
「台湾に行ってきました」。
そう言っても通用しそうな建物。
夢のお告げで建てられた「聖天宮」。
台湾の方が、台湾で、夢のお告げで知らされた緯度経度の場所が「埼玉県の坂戸市」。
何で?
田んぼが広がっていて、ところどころに家々がかたまって見える場所に、突如、台湾のお寺の景色がある。
「聖天宮」という名称や佇まいも、お告げがあり、そのお告げに従って建てたという話。
すごいのは、ちゃんとお告げに従って実行したということ。
夢のお告げを受けたことないからなあ。
従うかなあ……。
そうなってみないと、わからないなあ。
かつて、私は、
「やめてもいいんだよ」という声がした気がして、
耳に聞こえたのではなく、見えたような感じがあって、
その一か月後には送別会をしてもらい、
会社員を辞めた。
先のことは一切、計画がなく、
周りからはとても無謀に見られていたようで、
「早まるな!」とも言われた。
あのときを今にして振り返ると、
あの声に従ってスルッと決めたら、
先のことが何もないのに、
不安とか、揺らぐ気持ちもなく、
「やった!」的なハイな感じでもなく、
ただ、「これでいいんだ」という確かな感覚があった。
自分にとっての正解な選択って、
私の体験で言うと、
勇気とか、決断力が要るものではない。
それと、誰かに相談しているうちは動けないし、
動かなくていい。
自分の中で、スルッと決められて、
スルスルと動いている。
スルッと、スルスル。
私は一大決心をするタイプではないので、
負荷がかかるのも苦手だし、怖がりだし、
「スルッと、スルスル」がいいと思っている。
なので、そういう展開になるのだろう。
夢のお告げの「聖天宮」の話に戻ると、
「何で?」と思う、ここが大事。
たぶん。
なぜ、ここが(埼玉県坂戸市が)、夢のお告げになったのか?
違和感たっぷりの地に、何で、台湾のお寺があるのか?
感心するでも、不思議がるでもいい。
「何で?」と思うところから、
人それぞれに、自分の思考の繋がる部分へ行く。
そういう仕掛けが、この建物が存在する理由の一つ。
たぶん、そう。
そうだと思ったら、それが正解。
<io日和> <魚の庭> <ゼロ✦プラ>