妖精さんと真実

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三階のベランダから、夜の空間をぼんやり眺めていると、掌より少し小さいものが、白っぽいオーラを放ち、羽ばたきながら飛んでいるのを見る。
それを見るようになって暫くの間、このことは誰にも言わず自分だけの秘密にしていた。
「あれは妖精さん」と思っていたから。

ある日、そいつの正体がカマキリであることが分かって、がっかりもしたのだけれど、妖精なんてそんなものだろうとも思った。
何の映画だったか忘れたが、「妖精は、(人が)見たいと思うから見えるのではなく、姿を見せるかどうかは妖精しだい」みたいな台詞があった。
要するに、現れるかどうかは妖精さんのほうに選択権があるというわけだ。
それでも、用心深くない妖精さんも中にはいて、人に姿を観られてしまうのもいるのではないかと、妖精さんへの期待を捨てきれないでいる。
ただ、実際に妖精さんを見たら、本当に見てしまったら、かなり怖いのではないかとも思う。
想像するような、映画やアニメにあるような、単に優雅で美しいものではなく、一見そうであっても、ぎょっとするような体験になるやもしれず、涙目になってしまいそうな気がするのだ。

昨年、梅雨が明ける間際の頃に、蛍がそろそろ見られるのではないかと、雨上りの夜に、知人の誘いで山間の蛍の里に行ったときのこと。
雨が上がったばかりで、他には誰も蛍を見になど来ていなかった。
出かける前から、嫌な予感はしていた。
あれは、あれは、何だったのだろう。
「ぎゃあ〜!」
夜の静寂に響き渡る声をあげていた。
今、こうして書きながら思い出してもどきどきしてくる。

自分が思ってもみない、想像の域を超えるものを見ると、自分の体験じたいを打ち消そうとするものらしい。
わたしはそうだった。
「あれは目の錯覚、何か勘違いした、見間違えただけなのだ」と。

結局、蛍は一つも見ずに、「あれ」に驚かされ、急いで車に乗り込み帰ってきた。
「あれ」は黒い影のような姿で、でも緑色の光を帯びていて、「蛍はいないか」と道沿いの清流を覗き込むわたしの隣で、一緒に川を覗き込んでいたのだ。

数日後、地元の人から「蛍が出てるよ」と聞き、またそこへ行った。
いつもは静かな里に、蛍を見に来る家族連れやカップルの車が行き交う。
「こんな夜には、例の「あれ」は現れない」と、確信めいたものがわたしの中にあった。

緑の灯りが無数に、高いところまで飛ぶ光景。
蛍が放つ光を堪能する中、ふと思った。
異常にぎょっとさせられた「あれ」は、「蛍の精」だったのかと。
蛍の里の主みたいな、蛍たちの守り主みたいな存在かと。
そう思うことが、すごく腑に落ちる夜だった。
そして、ここが大事。自分が見たこと、体験したことを疑うのはやめようとも思った。
人が信じなくても疑おうと、見たものは「見た」でいい。

自分が腑に落ちたからといって、あのとき見たものの正体は「蛍の精」なのだと、それを主張するつもりはない。
ただ、「あれ」を見たことは、「自分を、自分の体験を、もっと信じよう」と思い直す出来事だった。
自分の体験から腑に落ちることが、自分の真実。
人生で体験してきたことから得てきたはずの自分の真実を、どこかで疑ったり、否定している面があるのではないかと思ったのだ。

見たものは「見た」。
思ったことは「思った」。
体験したことは「体験した」。
すべては、そのままで受け入れていいじゃないか。
自分の人生で体験したことがどうであったのか、その真実は、公に主張せずとも、自分は信じていこうとあらためて思う出来事だったのだ。

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★ <魚の庭> 春の妖精
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