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何もない所

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“町”の人たちは、この“町”を「何もない所」とよく言う。
それを聞くたびに、こっちは大きく「えーーーーっ?!」とリアクションしてしまう。

「何もないどころか、すごい所です」
今度は“町”の人のほうが「え?!」という顔をする。

その「え?!」が、まるでまさかの「え?!」ではない。
微妙に照れた嬉しさが混じってる。

都心から、この“町”に来て一年半を過ぎた。
川はきれいだし、小山はあるし、一年中、花が見られて鳥もたくさんいる。
最近では、キジを探して歩いている。
こんな生活が、自分の未来にやって来るなんて、想像もしていなかったし、望んでもいなかった。
なのに、なぜ?
と、ときどき思う。

住む場所を変えるというのは、その土地の神さまに迎え入れられるということ。
たった一つ見つけた面白い物件を試しに見せてもらいに来たとき、ドアを開けた瞬間に陽射しいっぱいの環境に心を捕まれてしまった。
でも、一見「何もない所」に、生活が不便なのではないか、退屈するのではないか、身動きがとれなくなるのではないか、と頭で考える不安と恐れに襲われてジタバタしたものだ。
神さまは、面白おかしく見ていたかもしれない。

この“町”は、一見「何もない所」。
「何もない所」の豊かさに魅入られて、日々喜んでいる姿を、神さまはまた面白おかしく見ているのかもしれない。

★ <魚の庭> 「部屋に満月」
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ioWEB> <魚の庭

・2年前の今日の日記 「連休前に」
・4年前の今日の日記 「会社員には戻れません」
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自然に起こる

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「あ、そっか!」となるのが悟りだよね。
そんな話をしていた。

「悟り」が何か?
感覚的なことを言葉にすると、どこかしら微妙に違ってしまうものだが、蓄積した知識や体験で意識的に到達するものではなくて、無意識にランダムに蓄積されてきたものが、パズルのピースが合わさるように、ある時点で意識できるタイミングを得る。そのときに、「あ、そっか!」というのが起こる。
そんな感じがする。

だから、「悟ろう!」とか「気づこう!」とか、力んで前のめりになっている必要ない。
自然に、その“とき”は起こると、天におまかせしておくのがいいのだ。

自然に起こるといえば、「癒し」というのも同じ。
ヒーリングができる人からパワーの援助はしてもらえるけれど、自分の中で起こる深い癒しは、自然なタイミングで起こるときに起こる。
それは、ただ空を見てぼーっとしているときであったり、映画を観ている最中であったり。
何が引き金になったのかはよく分からない。

直感的な「感じる」も同じ。
頭で考えるのではなく、感じる。
本当は、自然に感じているもの。
それを「感じよう、感じよう」と頭ですると、感じていることがうまく感じられない。
「感じる」を感知するのが苦手な人に、「感じたままを言ってみて」と言うと、考える顔になっちゃう。
「考えなくていいから」と言うと、さらに考えてしまう。
「〜しないで」というのは、逆効果になりやすい。

「自然に」というのも、心がけてしまうと不自然な「自然に」をやる人がいる。
人間の頭は面白い反応をするものだ。

考えると、「考える」も自然に考えている。

★ <魚の庭> 「緑の紫陽花」
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ioWEB> <魚の庭

・4年前の今日の日記 「風浴(かぜよく)」
・5年前の今日の日記 「股関節はもう鳴かない」
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落とし穴の種

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人生の落とし穴。
あれをしなければ、こんなことにならなかった。
そんなことが不意に起こる。

落とし穴に落ちると、「あれをしなければ、こんなことに……」の「あれ」という行為に注目する。
だから、「もう、あんなことはしない」と、その行為を禁じる。
でもね、わたしは思うのよ。
仇になったのは、「あれ」という行為に繋がる種のほう。

「種」は、その人の中にある考え。
仇になった行為に及んだ考え、あるいは価値観。そこを見直さないと、別の「あれ」という行為になる。

行為は種蒔き。
種がなければ、種蒔きという行為には及べない。

知り合いの社長さんが、痛い落とし穴に嵌った。
話を聞いて、溜息が出る。
ご本人の蒔いた種とはいえ、気の毒よ。
事故だから、相手の方には気の毒なんて言葉では済まない。

人の痛い体験を聞いて、「気をつけなきゃいけないね」と言うとき、「あれをしなければ……」の行為についてまず思うものだろう。
そこを、もう一歩も二歩も踏み込んで、行為に及ぶ種は自分の中にないか、考えたら、他人を簡単にジャッジできないのではないかな。

痛い落とし穴に嵌る前に、小さい兆候は出ていると思う。
なかなか容易に自分では気がつかないことだけど。

でも、やっぱり、事あるごとに、自分の心の在りようを意識して、在り方に繋がっている考え(価値観)の精査を心がけていたら、違ってくるだろうと思っている。
「気をつけなきゃいけない」のは、ここのところだろう。

「毎日を新たに」と、ことさら思う今日。

★ <魚の庭> 「アヤメか、ハナショウブか」
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ioWEB> <魚の庭
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大きい歯車、小さい歯車

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メインの大きい歯車をうまく回していたいものじゃない?
だから、つい大きい歯車に注目して、調子よく回そう、もっと回していこう、とする。
ところが、どうも動きが重くて、いくつもある全体の歯車の動きも当然重たくなる。
そういときに、メインとはかけ離れた、関係なさそうな小さい歯車を回し始めると、途端に全体の動きがよくなることがある。

小さい歯車が、いったい何か?
これは人それぞれ、状況にもよるので、一概に何とは言えないけれど、「そうだ!」と思いついて、すぐに動き出せること。
試しに動いてダメなら、「なんだ、違ったのか」と思うだけ。

神さまが「動かしてみたら?」と「小さい歯車」を教えているみたいだったので、早速、動いたら、俄然、全体が軽くなった。

大きいメインの歯車が全体を動かしているように思ってしまう。だから、大きい歯車の調子にばかり捕らわれてしまうけれど、全体として見ると、いろんな歯車が噛み合って動いているもの。
「そうだ!」と思って抵抗なく動かせる歯車があるなら、動かしてみればいい。

休止状態の小さい歯車は、いくつもあるもの。
必要ないから休止なのではなくて、それにはそれの出番がある。
必要なときの必要な歯車なのだから、動かして使えばいいのだ。

★ <魚の庭>
「山が笑う」
     「綿毛」
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ioWEB> <魚の庭
・4年前の今日の日記 「キャラメルとメロンと公園と」
・8年前の今日の日記 「夢の代わりに」
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滞空

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「悩む」という状態にいることが、人は好きなのね。
悩みがちな人に、こういうことを言うと「まさか!」と思うだろうけど、「悩む」に滞空している自覚が起こると、滞空の居心地を好んでしている感覚が掴めてくる。

悩んでいるときに解決する方向で考えているわけではない。
以前にも何度か書いているが、「悩む」と「考える」は違うのだ。
問題に対して心を煩わせる。
それが「悩む」。
「悩む」に滞空していると、考えている気になってしまう。
でも滞空しているだけだから、何も明らかになっていかない。
一つの滞空に飽きると、問題はそのままに「まあ、いいや」となったり、別の問題の滞空に乗り移ったり。そのうち、また元の滞空に戻って、滞空の堂々巡り。
悩み癖のある人の話を聞いてると、こういう状態なのだ。

「悩みの滞空」。
動き出せないときの時間稼ぎ。
これがまるで無駄とは言い難い。
人間、無駄が必要なときもあるから。
ただ、切り替えが苦手な人ほど、滞空に居心地を求めて居座る。

自分も、ときどき滞空しているときがある。
滞空だと自分で分かるから、切り上げて「考える」に移る。

「滞空の居心地」にいるより、「考える」のほうが、気持ちは上向きよ。

★ <魚の庭>
「ジャスミン」

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「黄色の世界」   「陽の海原」
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「今年の菜の花」
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「すっぴん桜」   「チューリップ、どーん!」
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「緑の中」     「美味しそう」
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ioWEB> <魚の庭
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Author: 葉月いお
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