
カタクリの花が咲き始めたか、昼前に散歩がてらカタクリスポットへ偵察に行く途中、斜面に咲いているのを見つけた。
★ 今日の<魚の庭>の 「カタクリ」
そこへ、自転車に乗ったおじいさんがやって来て、
「おお、咲いてるね〜」
と、ここで愛想よく笑い返したのがいけなかった。
「あんたみたいな面長の顔の人は、平家か藤原家のDNAだ」
そう言われて、そんな上等な血は入ってないと思うのだが、「政治家の誰々はモンゴル系」だの、「俳優の誰々はインド系」だのと、すっかり話を聞かされる餌食になってしまって……。
話の餌食にされやすい。
とくに、おじいさんの餌食にまんまと嵌る。
何度か餌食にされていれば、あの人には気をつけようとなるものだが、見知らぬ人には不意を突かれて、いつの間にか餌食。釣られやすいったらない。
魚じゃなくて、よかった。
餌食になったときに便利なのが、携帯・スマホ。
電話がかかってきた振りをして、バッグから取り出す。
「ああ、はい、どうも、今、行きます」と一人芝居。
しかし、巧みに強引に自分の話ができるという技はどうやって身につけるのだろう。
あれも才能のうちだなあ、と感心する。
話を遮られたおじいさんは「ちっ!」と舌打ちして、でも笑いながら去ってくれた。
めでたし、めでたし。
話を聞くのが「親切」という考えもあろうが、自分の時間を盗られている感じの親切は「本当の親切」ではないと割り切ることにしている。
それに、相手がお年寄りだとしても、対等にオトナであることを前提にしたい。
聞けるときは聞くけれど、寂しがりの相手は、本人の「寂しい」を癒さない限り切りがない。
果てない渇きと同じだ。
だからさ、自分の中の「寂しい」には自分で気がついて癒していかないと。
誰かれ構わず、時と場所を選ばず、渇きを解消しようとしても、乾くばかりになりかねない。
★ 今日の<魚の庭>は
「カタクリ」

「桜の懐」

「シンフォニーの上で」

<ioWEB> <魚の庭>
・4年前の今日の日記 「控えめに、東京と一つになった日」