神さまがいる人、いない人

世の中には、神さまがいる人といない人がいる。
神さまという存在がいるのか、いないのか、ではない。
その人が、神さまと一緒にいるか、そうでないか、なのだ。

神さまと一緒にいること。
神さまに心を寄せて生活すること。
それが、神さまがいる人の生き方になる。

人との中で、自然の中で、傍若無人な振る舞いをするのは、神さまがいない人なのではないだろうか。

神さまなんて、いるわけない?
神さまといる人には、神さまはいてくれる。
神さまといない人には、神さまはいても、感じることもなく存在としていないのだ。

★ 今日の<魚の庭>は こちら 「早春・冬枯れ散歩道」
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★ 今日の<お陽さまコレクション>は こちら 「参道のお陽さま」
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・2年前の今日の日記 「トモくん便り」
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勘違い

中学に上がって、何か自分の好きな言葉を持とうと思った。
「好きな言葉は?」と訊かれたら、即座に「○○」と答えられるやつね。

そこで、何を好きな言葉にしたかというと、「努力」。

これは所謂「座右の銘」とは違う。
座右の銘とは、自分が行動の戒めとして心に留めておく言葉。
だから、座右の銘としていい言葉や教訓をあげたからといって、その人が必ずしもそのようであるわけではない。言葉や教訓を実践する自分であるように心がけていることの表明なのだ。

じゃあ、なぜ、十代のわたしが好きな言葉として「努力」をあげたのか?
ものすごい勘違いを犯していたのだ。
その勘違いに気づくのに、また随分と時間を要した。
もう、今じゃ、好きな言葉は「努力」なんて言わない。
すっかり分かったもの。

わたしは、自分は努力が好きな人間だと思っていたのだ。
努力が好きな努力家だと。

そりゃ、わたしだって、まったく努力しないで生きてきたわけじゃあない。
それはきっと、みんなそうでしょ。

はて、これまでの人生で、「あれは努力したな!」と思うことは何だろうか?
思いつくのは、柔軟。
身体を柔らかくすること。

高校に入って始めた部活が洋舞研究部。
前屈すらままならないほど硬い身体を、とにかく踊りたい一心で、柔軟に励んだ。
股関節を無理やり開くと、内腿が内出血で紫色の筋が入るのを初めて知った。
でも、すごいよ。
100人以上いた新入部員が、三ヵ月しないうちに次々とごっそり退部して20人ほどになった頃、前屈はもちろん、180度に近い開脚ができるようになり、前後開脚、Y字バランス、母親の整理ダンスを相手に鍛えたブリッジまで、ひと通りできるようになったのだ。
これを努力と言わずして何と言う。

しかし、今となっては、どうでもいいことに努力した気がしてしまう。
建設的な人生の役には立ってないんだな、これが。
そもそも建設的な人生を歩んでないから仕方がないか。

★ 今日の<魚の庭>は こちら 「天神梅」
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★ 今日の<お陽さまコレクション> 「ティーゼル代わりのお陽さま」
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ベランダの奇跡

穏やかな天気の日曜日。
午後のベランダに出ると、空に不思議な光景が。

近所の人は見ただろうか?

もしかしたら、我がベランダは奇跡の特等席だったのかもしれない。

あとはこちらで↓

★ 今日の<お陽さまコレクション> 「虹の半円」
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・4年前の今日の日記 「接客業に憧れて」
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梅の春

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去年の今頃は、“町”の小山に天満宮さんがあることじたい知らなかった。
なので、小山の中で天神さまの梅を見ることもなかった。

今年は、梅の花咲く天満宮さんの小さな境内を思い描いては梅の季節を楽しみにしていた。

「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」

天神さまといえば、梅だもの。


★ 今日の<魚の庭>は こちら 「一つ咲く」
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感じていることを信じる

ベランダに出ると、吹く風に微かな春の匂いを感じていた。
緑の匂いとは違う。
何か、花の香りだろうか。
今の季節に香る花があるだろうか……。
散歩に出ても冬枯れの景色に花の姿などとくに見つからないのに。

春を思わせる匂いは、ふわりと鼻をかすめては消えてしまう。
捕まえられない匂いをときおり感じながら、だんだんそれは気のせいかと思い始めていた。

おにぎり持参で小山の見晴らし台(標高約230m)へ行ったあと、今日は山頂(標高298.9m)を目指して山登り。
山頂のあとは、山中の城跡を目指して山歩き。
そこで何と、感じていた匂いに遭遇。
春の匂いは、蝋梅の花の香りだった。

感じていたものは確かにあったのだ。
正体が分からず見えないだけで、自分を疑って「気のせい」とまで否定して。

微かな匂いに限らず、自分の感じていることにどれほどの信頼を寄せているだろう。
自分の感覚を否定せず信じる。
信じているようで、どこかで疑ってみたり、自分の奥で感じていながらなおざりにしていたり。
あとになって「ちゃんと自分はあのとき感じていたじゃないか」というのはよくあることだ。

「自分を信じる」というのも人によりけり。
自分は正しい、間違っていないの一点張りな人を見ると「少しは自分を疑えよ」と思う。
否定的な思いや都合のよ過ぎる願いが強くて妄想の域にいる人に「自分を信じろ」とは言い難い。
感じていることが、我の強さから来る偏った思い込みなのか、中庸なバランスの中で自分に訴えている真実なのか、精査できる感覚を磨いていくしかない。

感じていた春の匂いの元を見つけ、香りとともに黄色い花の姿にすっかり魅了されてしまった。
芳しい香りをくんくんしながら、「もうちょっと自分を信じなさいよ」と神さまに言われたように感じる。
きっと、そう、言われてる。
感じたのだから、信じて、受け取ればいいのだ。

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★ 今日の<魚の庭>は こちら 「春の匂い・蝋梅」
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