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ゴールはない

20130107a

昨年、ふと思ったのが、「ゴールはない!」。

たとえば、一つひとつの目標をゴールにすることはできる。
でも、それらは一つひとつに到達したに過ぎない。
一部のゴールがあっても、一生の過程は続いていく。

会社員でいる人から、定年がゴールのように言うのを聞くことがあるけれど、終わらないよ、人生は。会社員生活の区切りが訪れるだけの話。
三浦友和さん主演の映画『RAILWAYS …』に、
「お前、定年になったら終わると思ってるだろ?
 長いぞ~、その先の人生は」
定年を目前にした富山地方鉄道の運転士が先輩から言われるシーンがあった。
そのとおりだと思う。

わたしには会社員生活のような定年はないし、目印にできそうな区切りも今のところ“ない”。
その“ない”ものを、自分の中の一部で求めていたことに気がついた。
いわゆる、安泰というゴール。

たとえば、「老後の生活に必要な額」なんて記事に煽られて、老後の心配に陥る人がいるけれど、不安なんてものはいくらでも膨らむものだ。
住宅ローンは終わってる、子どもの学費はかからない。それでも不安がる人はいったいどこまで貯蓄に励めば安心するのだろう。先の備えは必要だけど、じつは求めて止まないのは安泰というゴールなのではないだろうか。

ゴールはない。
そう言われると、気が遠くなる?
だとしたら、ゴールを求めているのでは?

ゴールはない。
少なくとも、わたしの世界には、もう「ゴールはない」なのだ。
そのことを潔く受け入れたら、妙に気がラクになった。
“ない”ものは“ない”。

洗濯物が生きてる限り、なくならないのと同じ。
生活している限り、掃除をしなくてはならないのと同じ。
するのをやめれば、汚れ物が溜まる一方、部屋は汚くなるだけ。
生活に澱みをつくることになる。

歩かなければ、足は弱る。
体を動かさなければ、血行は悪くなるし衰える。
動くものは動かし続けないと、機能は低下するだけ。
歩かなくなるのは歩けなくなるときで、体を動かさなくなるのは動けなくなるときだが、それはゴールか?
歩けなくなっても動くことが叶わなくても、生きることは続くのだ。

人にゴールがあるとすれば、人生を終えて逝くとき。
だとしても、霊的なスピリッチュアルな考え方をすれば、持ち越す業(カルマ)は続くことになる。

どのみち続くなら、続ければいいことじゃないか、何もかも。
存在しないゴールなど期待すると、自分の中に澱みを生む気がする。
ほんの少しであっても、どこかで留まりたい気持ちを自分の中に存在させていることが、エネルギーの循環に些細な歯止めをかける。それが徐々に澱みをつくるように感じるのだ。
留まることなど考えず、動くけば動くほどエネルギーの循環はスムーズになっていく。
そんな実感がある。

内観(心の内を探る)という作業にも、ゴールはない。
やればやるだけ、さらに深く解消したくなる悪感情や思いを観る。
これも一つひとつ、毒だしをやり続けていくしかない。
ゴールはないから、急いても仕方がない。
でも放置すれば、いつまでもそのままが続く。
どのみち続くなら、解消した続きを体験したい。
だったら、取り組んでしまうが得というもの。

「ゴールはない!」の世界になったら、続けることがラクになったのは、ゴールの制限がなくなったからかもしれない。
性格にもよるのだろけど、「ゴールはない!」のほうが軽くて心地いい推進力になってきているこの頃。
「続く」とか「続ける」が息苦しいように感じるなら、潔く「ゴールはない、終わりはない」としちゃうとラクになるかもよ。

ioWEB> <魚の庭
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