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ゴールはない

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昨年、ふと思ったのが、
「ゴールはない!」。

たとえば、一つひとつの目標をゴールにすることはできる。
ただ、それらは一つひとつに到達点に過ぎない。
一部のゴールがあっても、一生の過程は続いていく。

会社員でいる人が、定年をゴールのように言うことがある。
けれど、終わらないよ、人生は。
会社員生活の区切りが訪れるだけの話。

三浦友和さん主演の映画『RAILWAYS …』の中で、こんなシーンがあった。
「お前、定年になったら終わると思ってるだろ?
 長いぞ~、その先の人生は」
定年を目前にした富山地方鉄道の運転士が先輩から言われる。
そのとおりだと思う。

会社員を離脱した私には定年はない。
目印にできそうな区切りも今のところ“ない”。
その“ない”ものを、求めていたことに気がついた。
いわゆる、「安泰というゴール」。

たとえば、「老後の生活に必要な額」なんて記事に煽られて、老後の心配に陥る人がいるけれど、不安なんてものはいくらでも膨らむものだ。
住宅ローンは終わってる、子どもの学費はかからない。それでも不安がる人は、どこまで貯蓄に励めば安心するだろう。先の備えは必要だが、じつは求めて止まないのは「安泰というゴール」ではないだろうか。

ゴールはない。
そう言われると、気が遠くなる?
だとしたら、ゴールを求めているのでは?

ゴールはない。
少なくとも、私の世界には、もう「ゴールはない」なのだ。
そのことを潔く受け入れたら、妙に気がラクになった。
“ない”ものは“ない”。

洗濯物が生きてる限り、なくならないのと同じ。
生活している限り、掃除をしなくてはならないのと同じ。
するのをやめれば、汚れ物が溜まる一方、部屋は汚くなるだけ。
生活に澱みをつくることになる。

歩かなければ、足は弱る。
体を動かさなければ、血行は悪くなるし衰える。
動くものは動かし続けないと、機能は低下するだけ。
歩かなくなるのは歩けなくなるときで、体を動かさなくなるのは動けなくなるときだが、それはゴールか?
歩けなくなっても動くことが叶わなくても、生きることは続くのだ。

人にゴールがあるとすれば、人生を終えて逝くとき。
だとしても、霊的な存在としての捉え方をすれば、肉体を離れても存在の続きはあることになる。

どのみち続くなら、続けるしかない。何もかも。
存在しないゴールなど期待すると、自分の中に澱みを生む気がする。
ほんの少しであっても、どこかで留まりたい気持ちを自分の中に存在させていることが、エネルギーに些細な歯止めをかける。それが徐々に澱みをつくるように感じるのだ。
留まることなど考えず、動けば動くほどエネルギーの循環はスムーズになっていく。
そんな実感がある。

内観(心の内を探る)という作業にも、ゴールはない。
やればやるだけ、さらに深く解消したくなる悪感情や思いを観る。
一つひとつ、毒だしをやり続けていくしかない。
ゴールはないから、急いても仕方がない。
でも放置すれば、いつまでもそのままが続く。
どのみち続くなら、解消した続きを体験したい。
だったら、取り組んでしまうが得というもの。

「ゴールはない!」の世界になったら、続けることがラクになった。
「ゴール」という制限がなくなったからかもしれない。

「続く」とか「続ける」が息苦しく感じるようなら、
潔く「ゴールはない、終わりはない」にしちゃうとラクになるかもよ。


ioWEB> <魚の庭



  
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宮司さんの教え「御札は脱がして」

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元旦は早々に、町にある郷社・八幡神社さんへ初詣。

町にはあちこちに神社さんがある。
去年は引っ越したばかりで、いったいどの神社さんが氏神さまに当たるのか謎のままだった。
町で土地をいっぱい管理している大家さんに聞いても、
「うーん、神社、いっぱいありますから!」と
と、明るい声で返されて、謎は明かされぬまま。
それから半年後、昨年6月に見つけたのが郷社八幡神社さん。
どうやら、これが氏神さまになるらしい。
そういうことにした。

いつもはあまり人を見かけない神社さんだが、
正月とあって、次々に参拝の人たちが現れる。

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年始めのミッションは、氏神さまとした八幡神社さんの御札をいただいてくること。
昨年は、年末にお参りに行った北口本宮富士浅間神社さんの御札一枚に相当頑張っていただいた気がしている。
今年は総元締めの天照さんと、町の八幡さまにも来ていただいて、さらに強力にお護りお導き願おうという魂胆。
2013年のテーマのとおり、「もっと、もっと!」なのだ。
「三本の矢の逸話」もあるし、「三人寄れば文殊の知恵」とも言うし。

おっきな神社さんや初詣で有名な神社さんだと、巫女さんや宮司さんの衣装を着けた売り子さんがいるものだが、町の神社さんは一味も二味も違う。
拝殿の横に続く大広間。
その縁廊下の窓を開け放ち、御札や破魔矢、お守りなどを広げて置いている。
売っているのは、普通のおじいさん。
宮司さんなのだろうか……。
ベージュのカーデガンを羽織った普段着で、格式ばった衣装などなし、なし。
お参りを済ませ、ミッションの御札を二枚いただく(買うわけだけど)。
と、「細かいことを言いますがね」とおじいさん(いや、宮司さん?)。

「はい!」

(言うてくだされ、言うてくだされ、
 大雑把者ですから、細かいことを言うてください)

「御札はね、薄い紙を剥がしてね」

(え!? そうなの?)

「お風呂に入るときと同じです」

(脱がすのか!)

御札にきっちり巻いてある障子紙みたいな薄紙。
あれは剥がすのだそうですよ。

あの薄紙は、家や事務所などにお祀りされるまでの間に人の手を経由するので、不浄から御札を防ぐためのもの。
神棚に収めるときは、剥がして(脱がして)使うとのこと。
柱に張って祀ったり、どこかに立てかけておく場合などは、御札が汚れないようにそのままでもよいそうです。

御札を買う他の人には言わないことを、私には言ってくれる宮司さん。
ものを知らないように見えたのだろう。
知りませんとも。
知らなかったですから。
神さまが「この人に教えたって!」と、宮司さんに言わせたのかもしれない。

正月早々、無知を一枚剥がしていただき、御札も薄紙を脱いで文字がはっきり見える。
昨年から障子紙のような薄紙を着たままの浅間神社さんの御札も脱がせてみると、
まあ! 新品同様!
引き続き、よろしくお願いしちゃう魂胆。

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眩しい元旦に

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あけましておめでとうございます。

大晦日の昨夜は猛烈な眠気に襲われ、除夜の鐘まで起きていられず、早寝したわりには初日の出に間に合わずの元旦。
「初日の出を撮りに行こうか……、行けたら行こう」ではダメ。
行くのであれば、やはり心を決めて、その気にならないと!

初日の出は「その気」がなかったということで、「その気」があった“町”の氏神さまへのお参りは予定通り午前中に。
初詣でと、初撮りをしてきました。
ここ2~3週間、カメラを持って町の散策をする間がなく、久しぶりにデジカメを使おうとしたら電源の入れ方を忘れている始末。
おかげで、撮るのが新鮮な気分の眩しい元旦であります。

今年もよろしくお願いいたします。


★ 今日の<魚の庭>の「眩しい元旦」
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