桜並木の不思議

開花前から何度か偵察に来ていた町の桜並木。
小川に沿ってずらり桜の木が植えられている。
桜を挟んで片側は、車がようやくすれ違える程度の道。
畑が広がる中を長々と桜の道は続く。

こんなロングな桜並木、見たことない。

喜んで写真を撮っていて、ふと思った。
何で、こんな所に桜並木なのだろう……。

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人なんかいません。
畑仕事をしている地元の人はたまに見かけるけれど、わざわざカメラを持って「桜だ、桜だ」と喜んでいるのはわたしらくらいのもの。
そもそも、ここは駅から歩いて来れる場所じゃない。
車で来たって駐車場があるわけじゃなし、他の車が来ないか様子を伺いながら路肩に停めるのがせいぜい。
もし、土日に車で人が大勢やって来たら大変なことになるだろうに。

桜が咲くところ、人で賑わう。
都心の感覚で見ると、ひと気のない桜並木は贅沢であり、不思議でもある。

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ioWEB

・2年前の今日の日記 「葉桜咲くら、水桜」
・3年前の今日の日記 「夜の公園パラダイス」
・7年前の今日の日記 「ぐぁんばる」
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献血とエネルギー

エネルギーレベルが下がってる、と感じることがある。
単に肉体的なエネルギーダウンとは違う。
気分や気持ちのエネルギーが低迷した状態。
それが数日続いて抜けないときがある。

わたしの場合、大抵は、身体の不調も心の不調も寝れば治る。
ところが今回は寝てもぶり返す。
参ったなあと思っていた週末、気心知れた人と一緒だったのでSOSのつもりで言ってみた。
「エネルギーが、こと切れそうなんです~。」
そしたら、その人が言うのよ。
「エネルギーあげるよ。持っていっていいよ。」

すごく気前よく「持っていっていい」と、エネルギーを。
献血みたいだなと思った。
そこで一応、尋ねてみた。
エネルギーをくれちゃって、エネルギー不足にならないか……。

「献血って血が余ってるからするんじゃないんだよ。
 それと同じでしょ。」
「ああ!!!」
ハッとしたね。
覚醒したと言ってもいい。

人それぞれ、身体の血液量は体重に比例して一定の量であって、輸血したから増えるというものではない。
献血しても提供した分の血液は身体の中でまたつくられる。

そこで、血液をエネルギーに置き換えて考えてみる。
人それぞれに持ってるエネルギーは一定とする。
問題は質ということになる。血液でいえば成分。

じゃあ、エネルギーの質とは何か?
人のエネルギーの質は波長じゃないか。
波動とも言うけどね。

「献血って血が余ってるからするんじゃないんだよ」
これを聞いた瞬間、それまで奇っ怪な宇宙人放送を聞いていたのが、整然放送に切り替わった。そんな感覚だった。
受ける周波が変わったのだ。

わたしは“エネルギーレベルが下がってる”と感じていながら、「エネルギーが事切れそう」と言った。
事切れる=不足。つまり、“足りなくなった分を何とかしなければ”という意識。
しかし、自分のエネルギーが一定量で不足しているのではなく、調律(波長のチューニング)が問題とすれば、“上げる”じゃなくて“変える”なのだ。
エネルギーレベルが下がっていると感じる波長を違う周波に変える。

そう考えると、単に“元気がない”というのも調律の問題。
すぐに不安になる癖を持つ人や、ネガティブな方向に考える癖のある人も、調律(波長のチューニング)の問題。
自分のエネルギーレベルをどの波長に合わせるか、ではないのか。

たとえばヒーリングというやつ。
ヒーリングのエネルギーを受け取ると言うけれど、輸血するみたいにエネルギーを取り入れるわけではなく、ヒーリングの波長に変えられていくと考えられる。
だから、周波を合わせていられる間は何だかエネルギーアップしたように感じても、その周波を自分で維持できないと元に戻ってしまう。
ヒーリングで得た感覚を身体で覚えて自分でアップするようにならないとその場限り。
自分で自分のエネルギーを調律していくために、内面と向き合う方法や瞑想などの訓練があるわけだ。

ものは考えよう。
これは“いおろろ考”であって、自己啓発でもスピリチュアルでもありませんよ。

自分のエネルギー調整なんてものは、日常の中で自然に意識することなくやっている。
ただ、ときどき変調をきたした状態を持て余すことがある。
今回の変調には思い当たることがあって、ここ一連に周辺で起こったこととも関連しているので考えてみたまでのこと。
話は続くのである。
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・2年前の今日の日記 「七歳児vs.黒い犬」
・3年前の今日の日記 「見納めの桜」
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“気になる”を優先する

いつ頃からなのか……。
振り返ってみると子供の頃から、自分の色はブルーと思ってきた。
好きな色はブルー。
だから服を選ぶときも、ブルー系のものをまず手に取る。
それが習性になっていた。
ところが何年か前に紫を薦められたことがあって、合わせてみたら意外や意外。
『あれ?!紫もOKなんだ!』
知らなかった自分を発見をしたようで嬉しかったことがある。
紫が似合うようになったのか、それまで単に手を出さなかったので気がつかなかっただけなのか、そこのところは不明なのだが、新たに自分に合う色を見つけた瞬間は新鮮な驚きににんまりしてしまう。

さて、数日前から欲しいなあと思い始めていた春物のストール。
たまたま昨日、パステル調のものが並んでいるコーナーを通りかかった。
買うならブルー系。
そう決めていたのもあってブルー系のものをいくつか合わせてみた。
ところがいま一つピンと来ない。
ピンと来ないものを無理して買うこともないので、またにしようと売り場を離れようとすると
「紫は?」
連れが言ってくれたので淡いパープルのストールを合わせてみる。
「お、いいじゃん!」
この“いいじゃん!”で勢いづいてピンクに手を伸ばした。
手にした瞬間、カチッ!
自分の中ではっきりとスイッチが入る音がしてびっくり。
合わせてみたら、OKじゃない!
ブルーを合わせたときと違って、パープルのときよりも明確に、『買い!』のサインでお買い上げ。

じつは、売り場を通りかかって最初に目に留まったのはピンクだったのだ。
なのに、ピンクには手を伸ばそうとしなかった自分。
それどころか今思えば、相当に無視していた。

ピンクは自分の色じゃない。
“自分の色はブルー”という決めつけ以上に、“ピンクは自分の色じゃない”と思っていたのだ。
ところが気になっていたのはピンク。
パープルで拍車がかかったおかげでドサクサ紛れにようやく思い切ってピンクに手を伸ばす。

こういうことが日常の中にもありそうな気がしてきた。
気になっていながら、手を伸ばそうとしないこと。
気になっているのに、無意識に無視していること。
気になっていることすら、気に留めずにいること。

たかが安物のストールでさえ、自分の“気になる”色にすぐに手が出せないなんて、これは自分にとっての問題発見である。
そこで、“自分の気になるを優先する”。
これを暫くは意識することに。

今日から4月。
ピンクのストールを教訓に、“自分の気になる”を意識して優先していきましょう。
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・1年前の今日の日記 「春のチカラ」
・3年前の今日の日記 「クッキーとロボ」
・7年前の今日の日記 「ゴッホと母校と沈丁花」
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