大抵のことは神さま任せ。
一つ大きく決めたら、あとは神さまがうまいこと調整してくれると信じている。
会社員を卒業するときも、先のことは何も決めず、周りからは「早まるな!」とか「それは無謀なんじゃない?」とか言われたけれど、わたしがもっとも信じているのは自分の神さま。その神さまが、「いいよ、やめてもいいんだよ」と言ってくれてる確信があった。だから、ものすごく急な決断ではあったが、先の不安などなく冒険気分で思うように実行したのだ。
間違いはなかったと思う。
その後はアップダウン激しくジェットコースターに乗ってるみたい。いいことも、いいとは言えないことも散々あった。でも、冒険なんてそんなものだろう。
あのまま会社員でいたら知らずにいた、経験できなかったであろうことを、知ってこれたのだから、よいことに違いない。

さて、9月に入った途端始まった引越し騒動。
これは、完全に神さまに仕組まれたと思っている。
九段という場所は好きではあるが、事務所というここの器には相当飽きがきていた。
で、引越し先の候補にあがった物件をパソコンで見たとき、「神さま、そう来るか!」と思った。
この飽き飽きしていた気持ちに応えての提案。
でも、決めるのは神さまじゃなくて、わたしだ。
神さまに「ノー」と言う手もある。
ところが、物件を実際に見てみたら、まあ、よくできた提案だこと。
陽当たりはよいし、景色のよいベランダはあるし、大好きな温泉だって歩いて行ける。
何といっても一番感激したのはパソコンの簡略化した見取り図では分からなかったウォーク・イン・クローゼット。これが小部屋にできるぐらいの広さで通気用の窓も付いている。この他にもクローゼットは二つあって……、「参ったね!」と笑ってしまうほど願望を満たしてくれていた。
ただ一つ、そこへ移る自信を揺らがせたことは……。
地方から東京へ出てきた人がよく言うでしょ。
東京には山がない。
山が見えないのが不安だとか。
は? 山ですか?
山が見えない不安なんて分からない。
東京の下町に生まれたわたしは、コンクリの道路が遊び場だった。山なんて見えないに決まってる。山は遠くにあるものだ。
それが、今度は山が見える。
四方八方とてもよく見える。
“景色のよいベランダ”と褒めたけど、よい景色というのは山の景色。
山が見える。
毎日、いつも、山が見えるのだ。
このことが、ときどきうねりを打って襲ってきては飲み込まれそうになる。
山の景色が嫌いなわけじゃない。
東京に出てきて「山が見えない」と言う人だって、東京が嫌いなわけじゃないでしょ。
山が見えない不安があるなら、山が見える不安があってもおかしくないじゃない?
山が海だったらどうだろう?
海ならこれほど抵抗感はない気はする。もともとわたしは遊びに行くなら山より海派なのだ。けれど、実際のところは分からない。
計画どおり、先週末までに捨てるものはほぼ片が付いた。
粗大ゴミの廃棄処分の方法と日程も決まった。
運搬にもっとも懸念していたコピー機は、営業さんの気の利いた提案で新しく入れ替えることにした。
今週からは徐々にパッキングに入る予定。
といったところで、神さまの微調整が働いた。何が起こったかはまた書くとして、おかげで“山が見える”という理解不能な不安は立ち去ったよう。
いい子ぶって前向きになるのは嫌い。
自然に受け入れるのがマイ・ベスト。
我が儘でも、ダダをこねても、嫌なものは嫌。
それがわたしの主義なのだ。
<io日和> <魚の庭> <ゼロ✦プラ>
🌏1年前の今日の日記 <急に、秋の遠足>
一つ大きく決めたら、あとは神さまがうまいこと調整してくれると信じている。
会社員を卒業するときも、先のことは何も決めず、周りからは「早まるな!」とか「それは無謀なんじゃない?」とか言われたけれど、わたしがもっとも信じているのは自分の神さま。その神さまが、「いいよ、やめてもいいんだよ」と言ってくれてる確信があった。だから、ものすごく急な決断ではあったが、先の不安などなく冒険気分で思うように実行したのだ。
間違いはなかったと思う。
その後はアップダウン激しくジェットコースターに乗ってるみたい。いいことも、いいとは言えないことも散々あった。でも、冒険なんてそんなものだろう。
あのまま会社員でいたら知らずにいた、経験できなかったであろうことを、知ってこれたのだから、よいことに違いない。

さて、9月に入った途端始まった引越し騒動。
これは、完全に神さまに仕組まれたと思っている。
九段という場所は好きではあるが、事務所というここの器には相当飽きがきていた。
で、引越し先の候補にあがった物件をパソコンで見たとき、「神さま、そう来るか!」と思った。
この飽き飽きしていた気持ちに応えての提案。
でも、決めるのは神さまじゃなくて、わたしだ。
神さまに「ノー」と言う手もある。
ところが、物件を実際に見てみたら、まあ、よくできた提案だこと。
陽当たりはよいし、景色のよいベランダはあるし、大好きな温泉だって歩いて行ける。
何といっても一番感激したのはパソコンの簡略化した見取り図では分からなかったウォーク・イン・クローゼット。これが小部屋にできるぐらいの広さで通気用の窓も付いている。この他にもクローゼットは二つあって……、「参ったね!」と笑ってしまうほど願望を満たしてくれていた。
ただ一つ、そこへ移る自信を揺らがせたことは……。
地方から東京へ出てきた人がよく言うでしょ。
東京には山がない。
山が見えないのが不安だとか。
は? 山ですか?
山が見えない不安なんて分からない。
東京の下町に生まれたわたしは、コンクリの道路が遊び場だった。山なんて見えないに決まってる。山は遠くにあるものだ。
それが、今度は山が見える。
四方八方とてもよく見える。
“景色のよいベランダ”と褒めたけど、よい景色というのは山の景色。
山が見える。
毎日、いつも、山が見えるのだ。
このことが、ときどきうねりを打って襲ってきては飲み込まれそうになる。
山の景色が嫌いなわけじゃない。
東京に出てきて「山が見えない」と言う人だって、東京が嫌いなわけじゃないでしょ。
山が見えない不安があるなら、山が見える不安があってもおかしくないじゃない?
山が海だったらどうだろう?
海ならこれほど抵抗感はない気はする。もともとわたしは遊びに行くなら山より海派なのだ。けれど、実際のところは分からない。
計画どおり、先週末までに捨てるものはほぼ片が付いた。
粗大ゴミの廃棄処分の方法と日程も決まった。
運搬にもっとも懸念していたコピー機は、営業さんの気の利いた提案で新しく入れ替えることにした。
今週からは徐々にパッキングに入る予定。
といったところで、神さまの微調整が働いた。何が起こったかはまた書くとして、おかげで“山が見える”という理解不能な不安は立ち去ったよう。
いい子ぶって前向きになるのは嫌い。
自然に受け入れるのがマイ・ベスト。
我が儘でも、ダダをこねても、嫌なものは嫌。
それがわたしの主義なのだ。
<io日和> <魚の庭> <ゼロ✦プラ>
🌏1年前の今日の日記 <急に、秋の遠足>