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益次郎さん

じき、九段とお別れになるせいか、靖国の辺りを歩くと泣きそうになる。
新しい場所へ行けば、そこが好きになって、また離れがたい愛する場所になるだろう。
きっとそうなる。

でも今は、転校することになった小学生みたいな気持ちで、好きになった街の景色を見ている。これじゃあ『千と千尋…』の 千尋じゃないか!
お別れの日まで、一つひとつ、胸に納めていきたいこの頃。

さて、今日はこの方のことを書こう。
20110909a.jpg

靖国の参道のほぼ中央の、高いところに立つ益次郎さん。

大村益次郎氏。もともとは長州藩の医者であったお方だが、医学に止まらず西洋の兵学書を翻訳したり講義したりと兵学者でもあり、お医者さんより軍務に長けていたようで、藩の軍政改革やその指導に携わっていた。明治政府樹立の動乱期の内戦・戊辰戦争では、司令官として新政府軍に勝利をもたらした立役者と言われる、維新十傑の一人である。

靖国(神社)さんの旧称は東京招魂社。(明治12年(1879年)に改称)
戊辰戦争終結後、新政府側の戦没者を慰霊する地として明治2年(1869年)に創建されたのが始まり。益次郎氏は招魂社地の選定にも関わり、今も参道に立っておられる。そのお姿は、旧幕府軍の彰義隊を討伐した上野戦争での様子を模したもの。左肩越しに送られる視線は、彰義隊が立て籠もる上野寛永寺を見つめているのだそう。
果たして、日本で最初の西洋式銅像となった今は何をご覧になっているのだろう。

靖国の賑わいも長閑さも、ここ参道の景色は益次郎氏とともにある。
春のさくらまつりの頃は、益次郎氏の足元に、出店のお好み焼きやたこ焼きを手に座り込む花見の客をよく見かける。
夏のみたままつりでは、益次郎氏を軸に盆踊りのやぐらが建つ。
そうそう、益次郎氏の頭と肩には鳩たちがよく止まっている。
で、何となく、普段、人が行き交う中に立つ姿は、気の抜けた案山子にも見えなくはない。
なんてことを!益次郎さん、ごめんなさい。

こちら↓は昨年11月に撮った益次郎氏。
銀杏の木の高さから、盛りに向かう黄葉の景色に頷いているかのよう。

20110909b.jpg

ちなみに、わたしが一番好きな益次郎氏の姿は、夜遅くに神保町から靖国を目指し、鋼管製の高さ約25メートルの大鳥居をくぐったあたりで見る濃い影となった姿。
最初の本の出版が決まり、「来年は本が出るんだなあ」と思いつつ、まだ自分の身に起こっていることがよく分かっていない頃だった。
神保町の銭湯へ行くたびに、帰りは冬の静寂に落ち着く靖国さんの参道を益次郎氏の影のシルエットを見つめながら歩いた。

本を出したいなんて願望が、自分の中にあったのだろうか?
自分でも半信半疑でいたけれど、避けては通れない道にもう乗っかってしまっている、そんな感じがしていた。
言葉に表せない思いを、わたしは夜の益次郎氏にいつも問いかけていた気がする。
『大丈夫ですよね?』だったのか。
『やるべきことなんですよね?』だったのか。
今でも何を問いかけていたのか、よく分からない。

何度も見た夜の益次郎氏。
なかでも印象に残っているのは月夜の晩の姿だ。
高く昇った白い月にぼんやり照らされる寡黙な像は、孤高の空気をまとい、いつものように立っている。はずが、口元がちょっぴり笑んでいるようにも見えたのだ。


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