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    捨てて捨てて、また捨てて

    8月には考えてもいなかった、お引越し。
    「来年になったら考えてもいいかなあ」と、ここ2~3年思っていたことではあるが、8月31日が過ぎるまでは微塵も予定しなかったこと。
    それが、9月の1日になった途端、突然、引越しの話が飛び出して、その気になるもならないも週末にはたった一つ気になった物件を見に行って、決まり!
    気持ちの整理が後回しになってしまうという急激な展開になってしまった。

    まだ本契約の手続き中なので、「どこへ?」というのは極々内密。
    前々から望んでいた日当たり・風通り・景色の良好な環境になるのは間違いなし。
    ただ、決めてしまってからの葛藤がいろいろあって、ホントにこの9月は苦しかった。
    このことについては、また書こうと思います。

    で、事務所の移転と同時進行で、来月は住居のお引越しもやってしまうことに。

    今のところ、事務所の片付けで手いっぱいの毎日。
    整理してあるつもりでも捨てるものが出てくる、出てくる。
    捨てて~捨てて~、また捨てての毎日にいささか疲れ気味。
    それでも“未来に導かれている”のだと思って、今月・来月と引越しの準備を進めていきます。

    捨てて~捨てて~、また捨てて。
    身軽になって、新天地へ向かうのだ。

    お片づけの最中に、ふと、適当に並べておいたクマさんたちを見ると、相談してる?!
    20110926a.jpg

    「絶対に仲間を捨てさせないようにしようね、ね!ね!」
    昨日、古参の一匹を捨てようとしたせいかも。
    疲れてくると感情が冷めて、「これらは物だから!」モードになる。
    結局、「捨てちゃうの~? かわいそ~」という声に止められて捨てなかったけど。
    みんな連れて行って洗ってやりましょう。


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    🍵3年前の今日の日記
     <シモキタ道中> <暗闇への誘い> <暗闇体験2

      

    益次郎さん

    じき、九段とお別れになるせいか、靖国の辺りを歩くと泣きそうになる。
    新しい場所へ行けば、そこが好きになって、また離れがたい愛する場所になるだろう。
    きっとそうなる。

    でも今は、転校することになった小学生みたいな気持ちで、好きになった街の景色を見ている。これじゃあ『千と千尋…』の 千尋じゃないか!
    お別れの日まで、一つひとつ、胸に納めていきたいこの頃。

    さて、今日はこの方のことを書こう。
    20110909a.jpg

    靖国の参道のほぼ中央の、高いところに立つ益次郎さん。

    大村益次郎氏。もともとは長州藩の医者であったお方だが、医学に止まらず西洋の兵学書を翻訳したり講義したりと兵学者でもあり、お医者さんより軍務に長けていたようで、藩の軍政改革やその指導に携わっていた。明治政府樹立の動乱期の内戦・戊辰戦争では、司令官として新政府軍に勝利をもたらした立役者と言われる、維新十傑の一人である。

    靖国(神社)さんの旧称は東京招魂社。(明治12年(1879年)に改称)
    戊辰戦争終結後、新政府側の戦没者を慰霊する地として明治2年(1869年)に創建されたのが始まり。益次郎氏は招魂社地の選定にも関わり、今も参道に立っておられる。そのお姿は、旧幕府軍の彰義隊を討伐した上野戦争での様子を模したもの。左肩越しに送られる視線は、彰義隊が立て籠もる上野寛永寺を見つめているのだそう。
    果たして、日本で最初の西洋式銅像となった今は何をご覧になっているのだろう。

    靖国の賑わいも長閑さも、ここ参道の景色は益次郎氏とともにある。
    春のさくらまつりの頃は、益次郎氏の足元に、出店のお好み焼きやたこ焼きを手に座り込む花見の客をよく見かける。
    夏のみたままつりでは、益次郎氏を軸に盆踊りのやぐらが建つ。
    そうそう、益次郎氏の頭と肩には鳩たちがよく止まっている。
    で、何となく、普段、人が行き交う中に立つ姿は、気の抜けた案山子にも見えなくはない。
    なんてことを!益次郎さん、ごめんなさい。

    こちら↓は昨年11月に撮った益次郎氏。
    銀杏の木の高さから、盛りに向かう黄葉の景色に頷いているかのよう。

    20110909b.jpg

    ちなみに、わたしが一番好きな益次郎氏の姿は、夜遅くに神保町から靖国を目指し、鋼管製の高さ約25メートルの大鳥居をくぐったあたりで見る濃い影となった姿。
    最初の本の出版が決まり、「来年は本が出るんだなあ」と思いつつ、まだ自分の身に起こっていることがよく分かっていない頃だった。
    神保町の銭湯へ行くたびに、帰りは冬の静寂に落ち着く靖国さんの参道を益次郎氏の影のシルエットを見つめながら歩いた。

    本を出したいなんて願望が、自分の中にあったのだろうか?
    自分でも半信半疑でいたけれど、避けては通れない道にもう乗っかってしまっている、そんな感じがしていた。
    言葉に表せない思いを、わたしは夜の益次郎氏にいつも問いかけていた気がする。
    『大丈夫ですよね?』だったのか。
    『やるべきことなんですよね?』だったのか。
    今でも何を問いかけていたのか、よく分からない。

    何度も見た夜の益次郎氏。
    なかでも印象に残っているのは月夜の晩の姿だ。
    高く昇った白い月にぼんやり照らされる寡黙な像は、孤高の空気をまとい、いつものように立っている。はずが、口元がちょっぴり笑んでいるようにも見えたのだ。


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    冒険気分

    20110908a.jpg

    自分の経験で言うと、冒険というのは、しようと思ってするのではなく、いつの間にか始まっているもの。
    「さあ、冒険に出よう!」なんて心する間もなく、始めていることも気づかないまま、船がスルスル動き出しているのが常。

    「止めるなら今のうちかなあ」などと思うとドキドキしてくる。
    でも、そのドキドキは早く先へ進みたいワクワク感でもあって、止める気なんてすでにない。
    だって、もうその道が自分の前に置かれて動かない、そんな感じがするのだもの。
    すでにその道にいる自分に心が戻ると、ドキドキとかワクワクはすーっと治まっていく。
    ドキドキ・ワクワクというのは、少し自分から乖離したときに起こるもののよう。

    中学1年の夏休みに、読書感想文を書く宿題があって『ロビンソン漂流記』を読んだ。

     こんなことになったらどうするかなあ……。
     何とかするのだろうか……。
     できるかなあ……。
     精神的に耐えられるだろうか……。

    夏休みの間じゅう、いや、夏休みが終わってもちょくちょく思い出しては考えていた。
    考えては疲れるから、あまり楽しい読み物ではなかったけれど、すごく惹かれるものがあったのは、人生の冒険を描いたものだったからだろうか。
    あのロビンソンだって、冒険するつもりで漂流したわけではなく、知らずに冒険は始まっていたのだ。

    ロビンソンにはなりたくない。
    あんな厳しい冒険は自分の人生にあってほしくない。
    あってほしくないから、あえてロビンソン・クルーソーに同化しては防止線を張ってきたような気がする。
    ただの怖いもの知らずであっては危険という意味で。
    かといって、リスクに焦点を合わせたら怖気づいてしまう。
    だから冒険は、いつの間にか乗り出しているのがいい。

    どうせ冒険するなら、ジャック・スパローでありたいな。
    馬鹿なのか利口なのか分からないってやつ。


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    オーギーのように、街の写真

    20110906a.jpg

    『スモーク』(Smoke)という映画に、毎日同じ時間、同じ場所、同じアングルで写真を撮る男が出てくる。
    ブルックリンの街角で煙草屋を営むオーギー・レン。

    ハーヴェイ・カイテルが演じる店主オーギーは、自分の居場所で日に一度、カメラのシャッターを押す。
    目的や意図はなく、行き交う人ごとその瞬間の街角を切り取る。
    それがどうというわけではなく、趣味としての日々一枚。
    撮り続けた写真は何冊ものアルバムに収められ、ときどき彼は独り、溜まったアルバムを捲る。

    この映画を観たとき、自分もそんなふうに写真を撮ってみたいなと思った。
    見せるための写真ではなく、何かを狙った写真でもなく、表現の欲求などない写真を撮るのがカッコいい感じがして。

    煙草屋のオーギー・レンにはそれをするきっかけがあり、私にはきっかけがないからしない。
    ただ、映画をたまに思い出しては似たようなことがしたくなる。
    同じ時間、同じ場所、同じアングルというわけにはいかなくても、一日一枚の街の写真が撮れたらいいなと。

    ああ、オーギーのようにできないのは、
    きっかけがないのが理由ではなく性分だ。
    毎日淡々と同じことをし続けるというのができない性質。
    だから憧れるのかもしれない。

    早朝は長袖でもいいくらいの涼しい風吹くさっぱりしそうにない曇り空。
    それが8時を過ぎた頃に空がパーッと明るくなって、陽射しがきらきらして見えた。
    で、足を止めてビルに映る空を撮る。
    『スモーク』のオーギーのように日々一枚とはいかないけれど、気持ちはちょいオーギー・レン。



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    空に見る

    靖国神社の正面・神門に向かって歩くとき、
    鳥居の上に拡がる空を見る。

    そこには、雲の形を借りたり、
    陽の光を映したりした大きなメッセージを見るときがある。

    今朝はちょっと悲しい気持ちが自分の中にあって、
    自分の何から悲しいが出ているのか、よく分からずに歩いていた。
    で、鳥居の上の空。
    靖国さんの上には羽を思わせる雲が。


    20110902.jpg


    悲しくても、空はきれい。

    きれいな空を見ていると、悲しいことも愛しくなって、
    悲しい」と一緒にいるのもいいなあ。
    そんな気持ちになる。

    気づけば、さっきまで居座っていた悲しいが薄らいで、
    泣きそうになっていた自分が可笑しくなってしまった。


    こちらは3.11の地震後、3月31日夕方の鳥居の上。
     ☟
    20110331bR.jpg

    龍、現る!>の龍神さまの空。




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    プロフィール

     葉月いお

    Author: 葉月いお
    オフィシャル基地<io日和
    ―魚の庭― Photo綴り
    極楽とんぼの「映画会」
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