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    靖国さんの上に龍を見た日

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    龍とか鳳凰の姿をした雲の写真を見せられて、
    見えると言われれば見えなくもない、かなあ……、というのが多いよね。
    そんな話をしていて、靖国さん近くの信号待ちの空を見上げると、
    「龍だよ、龍!」。

    西陽のオーラに照らされる龍の雲。
    興奮しながら慌ててバッグからデジカメを取り出した。

    20110331aR.jpg


    「すごい! 絶対、龍だよね!」
    普通にしてても声が小さくないので、興奮して声がより小さくなるはずはなく、
    「すごい! すごい!」を連発していた、と思う。
    同じく信号待ちをしていた数人の人たちが、「何があるわけ?」みたいにチラッと視線を西に向ける。でも、ぜんぜん驚きも感動もしていない様子。 どうして?

    信号が変わって横断歩道を渡る間も、少しずつ姿を変えつつある龍の雲を逃さないように見続けた。
    そのまま靖国さんの神門正面まで行ってみると、鳥居の上に二龍!
    二つの龍が、悠然と空を泳ぐ姿がくっきりと。

    「見えなくもない(けど)……」なんて疑ったことを口にした途端、神さまが「ほら、どうよ!」と見せてくれたのだろうか?
    カメラで撮った画像では伝わらないかもしれないが、実際に見ている本人には、ホントにそれは、“龍の姿をした雲”どころではなく、まさに「龍!」なのであった。

    メル友のトモくん
    「龍を見ました。わかりますか?」
    と画像を送ったら、
    「かすかに」
    ですと。

    そんなもんかなあ。
    そうだろうなあ。

    一緒に龍の雲を見ていた仕事仲間のライター氏に、
    「ところで、龍のメッセージは何でしょう?」
    そうお訊ねしてみたところ、
    「祝福」
    だそうで、まさにまさに“祝福”な感じ。

    日本が、みんなが、世界が、
    祝福に導かれていきますように。

    そういえば、以前、
    40度を超える熱で三日三晩、朝も夜も分からず寝込んだとき、龍に乗って荒川を上ったことがあったっけ。
    あれは夢の中だったけど、今日の雲といい、いつもは見えなくても、龍の神さまはちゃんといらして大きく護ってくださっているのだ。
    きっと、そう。

    20110331cR.jpg



    io日和> <魚の庭> <ゼロ✦プラ

    🌏いおろ
      <「いろはにほへと」


      

    薔薇じゃない

    20110330a

    最近、あちこちでピンクの薔薇が咲いていて、それも大盤振る舞いな咲きっぷり。
    薔薇の季節は、たしか6月頃のはずなのだけど、桜の開花が早まったり、銀杏の黄葉期が遅くなったり、季節のズレが生じてきている自然界。薔薇が咲いちゃってもおかしくないのかもしれない。
    でも、心の奥に自信の無さがあって、言えなかった。
    「薔薇がいっぱい咲いてるよ」とは。

    で、ちょっと確かめてみた。
    花には疎い人なのだけれど、
    「いっぱい咲いてるピンクの花、薔薇じゃないよね~?」

    「椿でしょ」

    そっか!

    「だよね~、薔薇じゃないよね~」
    「薔薇だと思ってたの?」
    「いや、薔薇だったらおかしいなと思って……」

    誤魔化してもバレバレでしょうが、椿でした。
    乙女椿。

    20110330b
    <大きい写真はこちら→アルバム「乙女椿」>

    それにしても、何て、きれいな咲き方でしょ。
    花びらの一枚一枚がバランスよく開いて見せる美しさ。
    しっかりした深みのある葉のグ緑に映えるピンクの可愛い華やぎ。
    すっかり魅せられて、春の楽しみをまた一つ見つけた気分。

    白が眩しい木蓮も満開です。

    20110330c

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    桜開花

    20110329a

    昨日の昼前、靖国さんの境内を通ると、脚立に乗り、能楽堂前にある開花標本木の桜の枝先を狙ってカメラを構えるマスコミの姿があった。

    開花宣言。

    今年は震災後とあって千代田区の“さくらまつり”は中止とのこと。
    靖国さんの境内の屋台も出店がないそうだ。

    露店商の人たちは痛いだろうなあ。
    浮かれ顔の花見客のうち、どれほどの人が気づいているだろう。
    桜の賑わいの中で、あの人たちが見せる厳しい表情。
    一家親戚総出でやって来てるふうな店もある。

    ある筋からの話だと、単なる自粛ムードというわけではなく、震災の影響で、警備や清掃ボランティアの手が回らないのが大きな理由らしい。
    それを聞くと、仕方ないかと納得がいく。

    出店の方たちは、きっと逞しくこの春を乗り越えられることでしょう。
    そうであるよう、まだまだ蕾がいっぱいの空に祈る。

    ioWEB

    今ある機会に

    年賀状だけのやり取りになってしまった人、付き合いの輪から退くように消えていった人。
    そんな友人・知人の中に、東北出身の方が何人かいて、気になっていた。
    ご実家は大丈夫だったろうか?
    たまたま被災地に帰っていたりしなかっただろうか?

    心配しながらも、その人たちに何かあったとして、自分にできることはあるだろうか?
    勇気のない考えが、連絡することを躊躇わせていた。
    でも、気になるなら行動すべき!

    先週末から簡単な手紙やメッセージを送っていたのが、次々に知らせが届いた今週。
    皆一様に、ご実家との連絡がなかなか取れず、安否の確認に時間を要したと書いている。それでも、大きな被害には遭わず無事だったとのこと。
    それを知るたびに、節電で寒いのを堪えていたのもあって縮込まっていた気持ちが、ふわ~っと拡がるのを感じた。

    無事を知って嬉しい。
    もちろん、それはある。が、返ってきた文面から自分の中に拡がる嬉しさは、遠くなった付き合いの距離を越えて音沙汰があったことだった。

    百の褒め言葉があっても、たった一つの意地の悪い言葉に心を挫かれることがある。
    百の、いや千でも万でも、楽しい時間を共有し、心が通じる実感を得ていたのに、ちょっとしたことが付き合いの距離を遠ざけることがある。
    ちょっとしたことは、数字にすれば1にも満たないちっさなことかもしれない。
    ちっさいけれど、言葉ですんなり伝え難い複雑なことであったりする。
    だから、難かしい。

    遠ざかった付き合いや薄くなった縁を、過去に戻して復元することはできない。
    付き合いだけじゃなく、どんなことも過去と同じにはならないのだ。
    でも、思ったよ。
    新しく始めるのは、ありかなって。

    被災地の復興にしても、過去のままの再現はあり得ない。
    失った過去を基に、新たに構築するに過ぎないのだ。

    何もかもは水に流せないのが人の心。
    それが人の付き合いの流れを滞らせる。
    かと言って、単に水に流してなかったことにするのは、あまりに無神経。
    ただ、躓いた過去に知り(学び)、今ある機会を始めることに生かせたら、過去の拘りは溶け始めるのではないだろうか。
    お付き合いにしろ、何にしろ、形が過去とは違っても。

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    ・2年前の今日の日記 「ブタさん」

    ブリキ女の感謝

    自分は感謝の足りない人間だと思っている。
    親からも「感謝が足りない」「感謝することを知らない」などとよく言われた。
    そう言われても、きょとんとするばかり。
    何しろ感謝が足りていなくて、感謝がよく分からないのだから、どんなふうに不足を埋めて分かればいいのかなんて分かるはずがない。
    これって、『オズの魔法使い』に出てくるブリキ男に通じているかもしれない。

    感謝足らずの心で、足りないことを悩むでもなく反省するでもなく生きてきて、あるとき、ものすごい感謝を感じている自分を体験した。
    7年前の12月。歩いていても何をしていても、自分の内からじわんじわん溢れてくる不思議な感覚。
    それが感謝なのか?と問われると説明の仕様がない。ただ、その不思議な体感に浸るに「ああ、(これが)感謝か」と思っただけのこと。
    頭や言葉でするのとは違う。
    しようと思ってするのとも違う。
    わたしには前代未聞の感謝だった。

    歩道を行く人の流れの中で、自分が存在していることへの感謝。
    誰もかれもがこの世界の一部を担って、大きな一つの世界で繋がっていることへの感謝。
    冷たい風にも、葉の落ちた街路樹にも、空にも雲にも感謝。
    いつも近くにいてくれる人への感謝。
    縁が薄れた友人も、大嫌いだった上司も、わたしの人生に係わってくれた感謝。
    父への、母への、妹への感謝。
    逝ってしまった祖父母への感謝。
    目に見えない存在たちにも感謝。
    そして、自分が生きてきた人生に、わたしが感じる神さまに感謝。

    感謝をよく知っている人からすれば感謝違いかもしれず、もっと未知の感謝があるかもしれず、それでも今までの人生においては後にも先にも、えも言われぬ感謝の体感。
    目に映るもの感じとれるもの、すべてに“感謝のオンパレード”な感覚は年の瀬に向かってしばらく続き、年が明けるといつのまにか薄れていた。

    感謝。
    10年ほど前に比べると、日常にやけに頻繁に使われるようになった気がする。
    口にする感謝。文字にする感謝。
    感謝を覚える人が増えたからなのかもしれない。が、そう思いたい反面、流行みたいに、幸せになるための呪文代わりに発せられているようにも感じてきた。
    「感謝、感謝」
    「感謝が大事!」
    感謝のPR大使のように言っていた人が、わたしをコントロール下に治めておけない事態になった途端、
    「いつも感謝してきたのに!」
    と怒鳴り散らしたことがあった。
    『感謝してくれとも思ってないし、感謝されてるとも思ってなかったよ』
    心の小さな呟きとともに、その人へのいくばくかの感謝は萎んでいった。
    そんなこともあって、わたしは“感謝”という言葉に悪くも敏感になり、厳しくもなり、自分がその言葉を使うときに躊躇するようになったのだ。

    形式的な「感謝申しあげます」は平気で使える。
    あれは、感謝の心があってもなくても、形式として捉えてもらえるから気がラクだ。
    でも、日常の場面では、自分が臭く感じている“感謝”を使うと、自分も臭みに嵌る。
    それもあったし、どれほどの感謝なのかを自分で計っては、言葉を引っ込めることがしばしば。
    それが最近、もう少し以前からか、薄々くだらない抵抗だなと思い始めた。
    で、もういっそのこと、拘るのは終わりにしようと思う。
    深くても浅くても、感謝は感謝でいい。
    言葉面(ことばづら)でも、心からでも、人間皆、五十歩百歩な気もしないではない。

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    地震から1週間が過ぎた連休中、自分の中の様々な思いや感情を洗い出そうと奮闘している。
    まだまだ洗い出し切れてはいないけれど、もやっとする抵抗感の一部をを吐き出して「感謝」と言ってみたくなった。

    手作りおいなりさんを作って届けてくれたお嬢に感謝。
    中の酢飯は微妙に3種類だと聞いたけど、微妙過ぎて違いが分からなかった。
    でも、ただただ美味しかった。
    20110320a

    お金がないのに苺が安かったと2パックも買ってきてくれた仕事仲間に感謝。

    ロールケーキにも感謝。

    こんなときでも、誕生日はめでたい!とメッセージをくれた友人に感謝。

    感謝できることに感謝。

    いただきものと、いただいた人生に感謝である。

    ioWEB

    ・1年前の今日の日記 「ランボーなスイーツ」
    ・2年前の今日の日記 「破壊者誕生」
    ・4年前の今日の日記 「桜偵察 」

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     葉月いお

    Author: 葉月いお
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