パックと散歩と夜の風浴

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フェイシャルマスクのパックをたくさんいただいて、当分、楽しめそう。
パックと似たサイズのじゃこ海苔も混じっています。

今朝は、おばあちゃんが名前を呼ぶ声で目が覚めた。
母方の祖母で、去年の8月に急に思い立ち、久しぶりにお墓参りをしたおばあちゃん。
もしかしたら、命日の前後なのか、それとも何か用があったのか……。

“朝、おばあちゃんが名前を呼んだ声を聞いて……”という話をしたら、友だちが「ちゃんと返事をした?」と訊く。
してません。
声を聞いたと同時に目が覚めて、「あ、今の声は、おばあちゃん」と思っただけで。
じゃあ、何て返事をすればよかったのか?
友曰く、「はーい」でも、「なーに?」でもいいんじゃないかと。
とにかく返事をしないのは失礼だ、と。
せっかくあの世から声をかけてくれたのに、と。
こんな話になったのは、もうすっかり陽が暮れた頃。

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夜になって、一人、散歩に出た。
誰もいない公園の早咲きの寒桜の下、おばあちゃんに言ってみる。
名前を呼んで、声を聞かせてくれて、嬉しかったこと。

桜の枝先をゆさゆさ揺らす、ほどよい風浴(かぜよく)が気持ちいい静かな日曜の夜。

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トモくん便り

節分の翌日、「メル友になってください」というメールがあった。
送ってきたのは、トモくん。
半妖仲間の“お嬢”の弟さんである。
トモくんには、お嬢の田舎にお邪魔したときに会っているのだが、彼はものすごく恥ずかしがり屋さんで、目が合うと「ひゃ~っ」って感じになって隠れてしまう。
だから、面と向かってのお話はしていない。
できなかったのだ。
それが、わたしのことは憶えていたようで、おかんさまの携帯からメールのアドレスを見つけたのだそうだ。

トモくんがどういう人かを例えるなら、山に住むフォレスト・ガンプ。
あるいはボリウッド映画『My Name is Khan(マイネーム・イズ・ハーン)』の主人公 シャー・ルク・カーン(ハーン)。
大きい括りで言うと自閉症ということになるけれど、そんなことは、どうでもいい。
去年の年末に、一緒に住んでいたおばあちゃんが亡くなって、一番寂しいのはトモくんだったかもしれない。
最初のメールがあったのは、おばあちゃんの四十九日を迎えるちょっと前のことだった。
そんなこともあって、突然のリクエストに応え、トモくんとのメル友関係が始まった。

最初の数日の間は、朝のマイiPhoneには、トモくんからの十何通ものメッセージが溜まっていることがあった。
昼間も夕方も、返事をしないと同じメッセージがいくつも入る。
そんなこともあるのではないかと覚悟はしていたけれど、正直、「またかい……」と思うことは度々あった。
それで、仕事をしているときや、人と会っているときなど、返信の相手ができないときは、その旨、正直に伝えることにした。
「しばらく返事ができません。ごめんなさいね」
「これからしばらく仕事しますよ。ごめんなさいね」
すると、
「了解です」
一応、あっさり、了解してくれる。
変に傷ついたりしないでくれるのが有難い。

まだまだ付き合いが浅いから、わたしが理解していないところはもちろん色々あるのだろうけど、一つ確かに感じるのは、素直な感情。
それは、喜んだり嬉しかったりのハッピーな感情であったり、夜明けに地震があって怖くて落ち着かない気持ちであったりするのだが、何だかちょっと、最近の自分に欠けかかっているもののような気がする。

で、今朝の話題は、蕗の薹(ふきのとう)。
「蕗の薹が咲いていますよ、春が、きましたよ」
おかんさまが畑で見つけて、トモくん経由で送られてきた蕗の薹は、やさしいグリーンが春の色。
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わたしは東京の子なので、子どもの頃は下町のコンクリートの道路が遊び場だったものだから、自然は好きだけど実際の自然には疎いところがある。
スーパーで“ふきのとう”とラベルが貼ってあれば、「これが蕗の薹か」と分かるが、自然に生えている蕗の薹は見つける自信はない。下手すれば知らずに踏み潰してしまう可能性も大いにある。
知らなくて困りはしない。が、知る機会は逃したくない。
だから送られてきたメールの写真を見て、ネットで検索して、学ばせてもらうネタにする。

ちなみに フキ

ちゃんと知らないことが多いからね。
勉強になります。

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亀の教訓

うさぎとかめ (ブライアン・ワイルドスミス作品選)
うさぎとかめ (ブライアン・ワイルドスミス作品選)

ウサギとカメがかけっこの競争をして、のろまなカメに負けるはずがないと途中で昼寝をしたウサギが負けてしまうという、イソップ童話の「うさぎとかめ」。

思い上がって油断をすると失敗するよ。
能力が劣っていても着実に歩めばゴールをものにできるんだよ。

とても大事な教訓を学べるお話だが、二つの教訓のどちらが自分に響くかというと、子どもの頃にも今も、わたしはウサギの教訓のほうである。
響くというより、耳が痛い。
カメの教訓は、何をするにも素晴らしい励みになるのは頭では分かっているけれど、何かその、興味が湧かないというか、心を突き刺されないのは、自分がウサギの性格だからだろう。

先週、この「ウサギとカメ」の話に続編がある、という記事を読んだ。
一つはウサギ編。
カメに負けたウサギが仲間にバカにされ、その後、一発勝負に出て英雄となる話らしい。
これにはあまり興味が湧かなかった。
面白い!と思ったのは、もう一つのカメ編である。
「何でもやればできる!」という気持ちに目覚めたカメが、空を飛ぶことに挑戦しようと、ワシに頼んで空高くに連れていってもらう。
「頑張れば空を飛べる!」
そんなカメをワシは高いところへ運んで、パッと放してあげたのしょうね。
結末は、カメが飛べるはずもなく、あっけなく散ってしまったというもの。
このカメ編の話に、身の程を知るのは大事なことだなあ、といたく感心するのと、話の展開がよくできているのとで、仲間内の飲み会でも話してさしあげたりしていたのだが……。

数日前、知り合いの方から女性誌系の女性ライターさんを探している、というメールがきた。
知ってるライターさんはほとんどが男性。
女性のライターさんもいるにはいるけれど、女性誌系と言われてピンとくるタイプは出てこない。
そもそも、“女性誌系”で何が望まれているのかが分からなかったのだ。
そこで、早急に電話で話を聞いてみることにした。
で、話を聞いても、あまりイメージがはっきりしてこなかったので、一か八か思い切って言ってみた。
ハイヤーセルフが「言ってみれば」と背中を押したような気がしたのだ。
わたしだって、女だし。

「わたしがやっても、いいですが……」
一瞬、受話器の向こうで引く気配があった。
「失礼ですけど、(云々)」
こちらの一か八かの一言で、ようやく分かった。
メークさんとかスタイリストさんとか、そういったスタイリッシュな職種の方々と不釣合いじゃないタイプをお求めなのだと。

これぞ、カメの教訓!
身の程を知れ!

「失礼ですけど……」と断りを入れてくれはしたが、やっぱりちょっと失礼なことを言われた感が……あるよ。
まあ、失礼なことを言わせる一か八かに出たのは自分だから仕方がない。
と言っても、やりたかったわけじゃないのだけれど。
分野が違うし。
ハイヤーセルフに痛い目に遭わせてもらったと思うことにした。

知ってる編集者さんにも訊ねてみたが、そんなスタイリッシュな女性ライターさんは出てこない。
とにかく紹介するカードがないのは明白になり、先方にとってはよかったはず。

しかし、教訓は痛いものだ。
ちょっとした痛さを堪えて、一つ新たな教訓を。

痛い教訓に心惹かれる者は痛い目をみる。

お気をつけください。

まけうさぎ (新日本出版社の絵本)
まけうさぎ (新日本出版社の絵本)

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イヤなヤツは消える

先日、飲み会で出た話。

イヤなヤツは消える。

「嫌だなあ……」と思う人は生きていれば必ず出会うもので、それも縁だから仕方がない。
自分にとって嬉しい縁だと“ご縁”なんて言い方をして有難がるけど、縁がいいものばかりとは限らない。
イヤなヤツとも、縁なのだ。

イヤなヤツが自分の人生に現れて、イヤと思うなら付き合わなければいい。距離を置くとかね。ところが、そうもいかない場合がある。
例えば、それが上司だったり、部下だったり、同僚であったりすると、ほぼ毎日、顔を合わせるわけで、閉鎖的な人間空間の中で無理強いされてる気がしてくる。
で、そのイヤなヤツが、ずっと自分の人生に居座り続けるんじゃないかと思えてくる。
ああ、イヤだ、イヤだ。

「イヤな人はそのうち消えるから大丈夫」
嫌がってる人にそう言っても、
「うちは小さい会社だから人事異動がないんですよ」
とか、
「向こうが辞めない限り、それはないです」
なんて、希望のないことをきっぱり言われたりする。

さて、縁の特性を単純に考えてみると、“繋がる”と“切れる”の二つ。
ところが、縁を意図的に“繋げる”“切る”が難かしい。

繋がった縁を大事に繋げていく。
そうは言っても、消えたり薄まったりするのが縁。

繋がった縁を切る。
これは、けっこう、エネルギーが要ること。
離婚はその最たるものかと思う。
親子の縁だって、切ると言っても見えないヘソの緒はついてまわるもの。

縁というのは、自分が意図してどうにかしようとするより、自然な成り行きにまかせておくのがいい。
と思っているのだけれど、「じゃあ、イヤなヤツはいつ消えるんだっ」て話になってしまう。

イヤなヤツは、いつかは消える。

だから、いつ消えるんだっ!

そう詰め寄られても……。

“いつかは消える”の“いつ”が分からないから、「イヤだ、イヤだ」とイヤなヤツのことが気になって、「イヤだ、イヤだ」の感情の中でジタバタしたりするものだ。
中には善い人になって、イヤなヤツを好きになろうと努力したりして。
好きになれるなら努力もいいけれど、それがまたストレスになり得るから困ったものだ。

イヤなヤツが消えるとき。
それは、イヤなヤツとの縁が消えるときとも置き換えられる。
それを「イヤだ、イヤだ」とイヤなヤツのことを考えて意識を向ければ、かえって縁を強める気がしてくるではないか。
嫌がっている人の話を聞いていると、嫌がることが日々のイベントみたいに思えるときがある。
“嫌がる”という自分のイベントがあることを期待しているかのように。

イヤなヤツに何を期待してるのか?
我が身の経験から言うと、イヤなヤツとの縁を弱めるには、自分が期待していることに気がつくこと。
退屈な日々を色付けする「イヤだ、イヤだ」のイベントであったり、イヤなヤツに自分を認めさせたがっていたり、と何かしら期待するものがあるはず。
その何かに気がついたら、期待するのをやめればいい。

ある人は、職場の取締役との「イヤだ、イヤだ」が何年も続いていたけれど、その「イヤだ、イヤだ」も飽きた頃に取締役は消えた。
ある人は、直属の部長と何年もやりあって神経をすり減らしていたけれど、互いに相手を認めさせたがっているのに気がついたら、急に社内の状況が変わって離ればなれになった。

縁はそうそう続かない。
イヤなヤツとのご縁も、そうそう続くものではない。
イヤなヤツはいずれ消える。
そして自分のエピソードになっていく。

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・2年前の今日の日記 「父への反省文」
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一撃

気がついたら夕方。
気分転換の散歩もできず、頭が煮詰まっているときに、

「キリンがね、鳩を食ってる画像があるんだって」

ときた。

えーーーーーーっ!!!

考え付こうにも付かない意外な話は、意外な一撃になるものだ。
それを聞いただけで、疲れがぶっ飛んで笑いまで出る始末。

草食系のキリンが、獰猛そうじゃない動物が、鳩を食べる。
戦時中だか戦後まもなくだかの上野動物園でのことだそうだ。
これを聞いてしまうと、ちょっと笑えなくなるのだけれど。

何気に話したほうは、こちらが一撃を食らった様子が面白かったらしく、そのあと図に乗って“意外な食うシリーズ”の映像をiPhoneで立て続けに送ってきた。
亀編と蛙編。
ここでシェアしてもいいけど、趣味が悪いのでやめておく。

一撃を刺激に元気がでたところで、今夜は中華。
意外じゃない海老を食べた。

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 葉月いお

Author: 葉月いお
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