大抵、横になればバタンキューで即、あっちの世界に行ってしまって夢もほとんど憶えていない。それがたまに、こっちの世界の意識のまま、あっちへ行く一つ手前の世界にいるときがある。
“あっち”というのは“眠りの世界”のこと。
一昨日の寝入りばな、まさしくそんな状態のときに、空の映像を見ていた。それは地上から見る空ではなくて、空の中にいる、そんな感じなのだ。
淡いブルーの空の中。綿菓子を薄~く引きちぎったような雲が広がっていて、空の様子はゆったり常に動いている。見た目はさして変わり映えはないけれど、微妙に色を変え、広がる雲も模様を違えていく。
それは、上昇感もスピード感もないエレベーターに乗ってするする上がりながら見る空のようでもあった。
そして思った。
「ああ、上昇するとはこういうことか。してみれば分かることなのだ。」
こんなことをやけに納得して、眠りに落ちた。
で、朝になって目が覚めてみると、いつになく気持ちが軽い。憑きものが落ちたようと言ってもいい。やたら元気なのだ。
べつにそれまでが元気じゃなかったわけじゃない。フツウに元気。ときに周りより元気。そもそも元気じゃない人間に見られない。それがたまに損をしているような気がして「わたし、根が暗いんです。」なんて言ってみたりする。それが今の元気から感じるには、元気が欠けていたのが分かる。
はて、この軽さが上がった感覚の元気は何?
やっぱり何か憑いてたのだろうか?
“上昇”の夢を境に何かが一段、変わった感じが確かにある。
それは気のせいではなく、単に機嫌がよいのでもなく、本来の元気とはこういうものだったのか、という感覚。
“元気”にも、書道や武道みたいに級とか段位があれば分かり易いのだろうけど、“元気”なんて感覚は人に見せるものではないので、内心元気になった感覚を楽しんでいる。この元気も、また一段あがると「元気ってこういうこと!?」なんてことになるのかもしれないが。
元気一段“上昇(ジョウショウ)”の夢。
“ゾウチョウ(増長)”の夢でなくてよかった。
さて、12月はキラキラの国!
イルミネーションがあちこちでキラキラし始め、日中晴れの陽射しも時間は短くなったけれどきらきらしている。そして、銀杏の黄葉がピークになる頃。
今日は“銀杏日和”を期待して、昼過ぎにデジカメを手に靖国へ。同じようにカメラを持って黄金色の景色を切り撮る人をたくさん見かけた。何気に皆、笑みを浮かべているのは、やっぱり楽しいからでしょうね。

<ioWEB>
“あっち”というのは“眠りの世界”のこと。
一昨日の寝入りばな、まさしくそんな状態のときに、空の映像を見ていた。それは地上から見る空ではなくて、空の中にいる、そんな感じなのだ。
淡いブルーの空の中。綿菓子を薄~く引きちぎったような雲が広がっていて、空の様子はゆったり常に動いている。見た目はさして変わり映えはないけれど、微妙に色を変え、広がる雲も模様を違えていく。
それは、上昇感もスピード感もないエレベーターに乗ってするする上がりながら見る空のようでもあった。
そして思った。
「ああ、上昇するとはこういうことか。してみれば分かることなのだ。」
こんなことをやけに納得して、眠りに落ちた。
で、朝になって目が覚めてみると、いつになく気持ちが軽い。憑きものが落ちたようと言ってもいい。やたら元気なのだ。
べつにそれまでが元気じゃなかったわけじゃない。フツウに元気。ときに周りより元気。そもそも元気じゃない人間に見られない。それがたまに損をしているような気がして「わたし、根が暗いんです。」なんて言ってみたりする。それが今の元気から感じるには、元気が欠けていたのが分かる。
はて、この軽さが上がった感覚の元気は何?
やっぱり何か憑いてたのだろうか?
“上昇”の夢を境に何かが一段、変わった感じが確かにある。
それは気のせいではなく、単に機嫌がよいのでもなく、本来の元気とはこういうものだったのか、という感覚。
“元気”にも、書道や武道みたいに級とか段位があれば分かり易いのだろうけど、“元気”なんて感覚は人に見せるものではないので、内心元気になった感覚を楽しんでいる。この元気も、また一段あがると「元気ってこういうこと!?」なんてことになるのかもしれないが。
元気一段“上昇(ジョウショウ)”の夢。
“ゾウチョウ(増長)”の夢でなくてよかった。
さて、12月はキラキラの国!
イルミネーションがあちこちでキラキラし始め、日中晴れの陽射しも時間は短くなったけれどきらきらしている。そして、銀杏の黄葉がピークになる頃。
今日は“銀杏日和”を期待して、昼過ぎにデジカメを手に靖国へ。同じようにカメラを持って黄金色の景色を切り撮る人をたくさん見かけた。何気に皆、笑みを浮かべているのは、やっぱり楽しいからでしょうね。

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