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    マーライオンたちよ

    手作りベーコンに床上3センチは舞い上がっていたであろういおろさんは、さっそく200gほどのベーコンをあっさりカリリンと焼きあげ、白いご飯3杯を平らげ上機嫌であった。
    理系出身のライター編集者2名が、定性的と定量的の違いについて話しているのをワインの肴に、週末らしい夕べを迎える土曜の夜。

    定性的と定量的の違いが分からない?
    定性的というのは、物事の状態のある部分的性質を取り上げて論じること。
    定量的とは、根拠のある具体的な数値化により物事の状態を論じること。
    で、数値を持ち出すと定性的な話も定量的に聞こえて、数値じたいにデータも根拠もないのに定量的な話のように聞かせて人々を鵜呑みにさせてしまう輩もいれば、数値で示されただけで理論的で根拠のある話と受け入れてしまう人々もいる、という話題であった。

    “定量的”の前で、“床上3センチ浮上”などとはとても言えない。計ってないし、単に気分的な数値だし、思いつきだし。表現とは詐欺師みたいなものかとも思う。
    が、とりあえず文系に属する言葉の詐欺師が決して非理論的なわけではない。理数系の素養はあるのだ。自慢じゃないが、小学校から中学までは算数・数学が得意であったし、高校では物理で点数が稼げていたし、統計学なんて1日詰め込みにヤマが当たって100点満点の筆記が97点も取れてしまったのだ。
    そこで、「たとえば偏差値には運の強さ・弱さが示されない」とか、「定量的な確立の数値があっても、受験などの合否の結果率は所詮フィフティ・フィフティだ」とか、自論の突っ込みを入れて呆れさせてやった。

    気がつけばワインがボトル4本、空いていた。
    そこへご近所にいる作家の東郷さんが現れ、話題はさらに尽きず、ニッカの角瓶も空になっていた。和やかな宴が続く深夜、トイレに立った一名が40分近く出てこない。

    観光名所の「世界三大がっかり」に挙げられるのが、
    ・シンガポールのマーライオン
    ・コペンハーゲンの人魚姫の像
    ・ブリュッセルの小便小僧
    である。
    これらのうち“ブリュッセルの小便小僧”は実際に見た。コペンハーゲンは行ってないので人魚姫は見たことはない。シンガポールも未踏の地だが、マーラインオンはどこにでもいる。
    喜びが溢れ出てしまうように、止めようのない非常事態は起こるものだ。

    夜中の汗だくトイレ掃除、1時間。
    年末より念入りに掃除ができた。
    出してさっぱりしたなら、いいことにしよう。

    マーライオンが1頭、ソファで高らかに快眠状態にある横で、東郷さんと二人、ビールで和やかな宴の続き。
    明け方、東郷さんを見送ったあと、もう1頭の理系出身がマーライオンしていた。これは掃除要らずで助かった。
    所詮、定性的な物言いになってしまうけど、飲み過ぎなんだってば。

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    ・2年前の今日の日記 「そりゃ、ないでしょ」

    気分は床上3センチ

    好きなものをいただくと、どうしたってどうしようもなく、全身から喜びが溢れ出てしまうらしい。自分でもスイッチが入るのは分かる。
    でもって、こんなものをいきなり鞄の中から出されたら、ジュリー・アンドリュースなら歌いだすところだ。

    20090530a

    手作りベーコン1キロ。
    ほんのり木の甘さが漂う豚さんの塊。
    胡桃と林檎のチップでスモークしたものですって。

    塊ベーコンを肉切り包丁でスライスするに、どんなに頑張っても薄切り5ミリが限界。スーパーでパックで売られているのより贅沢なスライスを温めたフライパンに乗せる。と、焼きあがるにつれ豚さんの肉汁たっぷりの油がジュワジュワと溢れ出てくる。それは……、それは、全身から止めようもなく喜びが溢れ出てしまうのに似ている。

    気がつけば週末に突入していた1週間。
    肉自身から溢れ出る油が、肉をさっぱりカラリと香ばしくするように、自身から溢れ出る肉心(にくごころ)の喜びが雑事に追われた1週間をカラリと素晴らしい週に洗い揚げてくれることだろう。
    地上5センチの恋心』の未亡人オデットが舞い上がるがごとく、気分は床上3センチ浮上中。
    なぜオデットよりマイナス2センチか?
    それは……、それはね、5センチは大袈裟だけど3センチなら浮いてても気付かれまいと思うから。いや、単に思いつき。ときに定性的な話を定量的な話にすり替える詐欺師にもなれる素質ゆえ。

    そんなことはいい。
    いただきましょう。いただいてみましょう。
    さっそく焼いてみましょうぞ。

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    花の不幸は蜜の味

    「お花はいいな」
    買い出しに行く途中、歩道沿いで野放図に育った植木が真っ赤な花を満開にしているのを見て、つい呟いてしまった。

    「温泉と夜中の風浴でガッツリ寝られそう」と書いたら、昨日土曜日はホントにガッツリ寝てしまった。明け方4時くらいに寝て、目が覚めたら2時半だもの。
    10時間以上も寝たのだから、さっぱりはしたが、そのわりに気持ちが冴えない。
    やる気がでない。
    何かつまんない。
    どうやら“つまらないの雲”が降りてきてしまったようだ。

    羨ましげに「お花はいいな」と口にしたら、買い出しに付き合った事務所のクマさんがすかさず「なんで?」と訊き返してきた。
    「咲けばいいんだもん」
    ほとんど考えずに出た言葉に、自分でも羨ましさが増して恨みがましさを感じた。

    「咲かない花もあるんだよ」
    飄々としたクマさんが言った。
    「え?!」
    心にちょっぴり刺激が走った。

    「僕がもらったチューリップの球根は、蕾にまではなるのに咲かないんだよ」
    またしても「え?!」である。
    「毎年、毎年、植え替えても蕾で終わるんだよ」
    「なんで?」
    「きっと花になる力がないんだよ」
    「ふ~ん」
    蕾にまでなって開かないとは、なんて悲しい話だろう。
    悲しい話と思う反面、靄がかかった心に興味の芽がムクッと頭を持ち上げていた。
    花の不幸話はさらに続いた。
    「弟がどっかから持ってきたアイリスなんかさ、茎は伸びるのに蕾にもならないんだよ」
    「そいつも毎年、毎年、茎だけスーッと伸びて終わっちゃう」

    よほど球根を植える人の心がけが悪いんじゃないかと思って誰が育ててるのか訊いてみたら、実家のお母さまだった。花を育てるのが好きなお母さまなので、原因は球根を扱う人ではないようだ。すると、球根を貰い受けた人のせいか?
    「その育ち方って、球根を貰ってきた人に似てない?」
    蕾どまりなのも、茎しか伸びずに蕾にもならないのも、球根を貰った本人たちに何となく重なる気がして、つい言ってしまったのは荒みかけていた心のせいだろう。

    「ふん!」
    クマさんがムッとした素振りを見せたところで、あるビルのほったらかしの花壇に、ガーベラを小柄にしたようなピンクの花たちが咲き乱れているのが目についた。
    この花壇の前は年中通る。勝手に根付いた雑草が生えているくらいにしか見えなかったが、こんなきれいな花が咲くなんて。二人でちょっと感動した。
    さらに歩いていくと、これまた手入れがされているとは思えない花壇がある。乱れ気味に茂った葉に紛れて、まだ固い緑の蕾がいっぱいついていた。またしても感動。
    「ここって、どんな花が咲くんだっけ?」
    「忘れたけど、楽しみだね」
    そんな会話をしていて気がつくと、“つまらないの雲”はすっかり消えていた。

    ほとんど付き合いはない知り合いの女性ライターさんがウツになったと聞いていた頃、彼女も知っているある人が交通事故で亡くなられた話が密やかに伝わってきた。事情があって一部の人たちにしか公にされない中、どこで聞きつけたのか、その話を知った彼女が一番興奮して騒ぎ立てていたのにはびっくりした。受話器から聞く彼女の声には張りさえ感じられた。
    そういえばウツで入院してしまったある校正者氏が、病院から電話をかけてきて「収入がなくなる」と嘆きながら「誰某はどうしてる? 誰某は?」と知人たちの近況を尋ねるので、「Kさんは○億の負債を抱えて大変だ」とか、「某出版社が潰れてYさんは○百万のギャラがもらえない」とか話してやったら、ぐちゃぐちゃ嘆くのが止まった。

    「他人の不幸は蜜の味」と言うけれど、花の不幸話で“つまらないの雲”を追い払えたいおろさんには「花の不幸は蜜の味」だったようだ。

    元気が戻ったら途端に食べることに意欲が湧いて、昨夜はネパール料理のアッサムへ。
    タンドリーチキンがいつになく美味しく、カレーとワインと、さらに「サービスです」と出されたオムレツで気分は全快。“終わりよければすべてよし”のよい一日であった。

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    生姜紅茶太り

    先週末から生姜紅茶ブームが始まって1週間。
    生姜紅茶にプチ断食のダイエットも始めた友人に、「体重は減った?」と訊いたら、何と「増えた」と言うではないか。

    何を隠そう、私も、先週末時点で理想体重より1.2キロ増量していたので、ややプチ断食をしていた。
    ところが昨夜、1ヶ月以上ぶりにさやの湯へ行って、蒸し風呂に3回も入り、風呂あがりのデトックスした体で体重計に乗ってみると、0.5キロ増えているではないか。

    これはいったいどーゆーことよ?

    ちなみに友人に教えてもらったプチ断食とは、

    ・朝食は黒砂糖か蜂蜜を入れた生姜紅茶に、リンゴか人参のジュース。

    私が実行しているのは黒砂糖も蜂蜜も入れない生姜紅茶を3杯ほど飲むだけ。

    ・昼は軽い麺類。

    蕎麦好きの私は麺類なら蕎麦。
    それで、昼はたぬき蕎麦をいただく1週間だったが、ついミニカツ丼をつけてしまうのがいけないのだろうか?

    ・夜は普通に飲んだり食べたりしていい。

    生姜紅茶を飲み始めてから、夜ご飯にありつく頃には我慢の限界寸前までお腹が空いている。
    木曜日は軽い夕食を食べたあとに、近所の小奇麗な居酒屋さんでさらに満腹になったのがいけないのだろうか?

    増量した友人が言うには、
    「生姜紅茶で体調がよくなった分、体の吸収力が強化されて太ったのだ。これからどんどん体重が落ちるに違いない。」
    と自信満々。
    希望的理論に思えるけど、先生、どうなんでしょ?

    それにしても、今宵は夜風が勢いよく爽やかで気持ちいい。
    温泉と夜中の風浴で、ガッツリ寝られそう。



    io日和> <魚の庭> <ゼロ✦プラ

    🌏3年前の今日の日記 <褒め殺し技は似合わない


      

    “気”なのか気のせいなのか

    先週、お気に入りの松の木から“じわんじわん”を感じたのは、二日酔いのせいだったのか、いや、木の気だったのか、はたまた“気”の気がしただけだったのか。
    今一度確かめに、すっかり嵌ってしまった生姜紅茶を飲んで、早朝から靖国へ行ってみた。

    「おはよーございます」と木に挨拶をして、「触らせてください」とお願いしている姿は、やはり他人の目にはおかしく映るだろうか? そりゃ、映るだろう。
    まあ、いい。気にしない、気にしない。

    20090518a

    右手と左手と交互にそーっと触れてみる。金曜に感じたほどではないが、微かに“じわんじわん”がきますよ。
    面白いので、次回は銀杏の木でも試してみようと思う。
    ちなみに夜、靖国通りの桜の木に何本か触れてみたら、血管をさーっと血液が流れるイメージが浮かんだ。

    “気”なのか気のせいなのか?
    遊びみたいなものなので、どちらでもよいのだ。

    毎年、爽やかなブルーに染まる境内の紫陽花は白い花をつけ始めている。しまってあった夏のセーラー服を思い起こす白の眩しさは、直接触れてはならない神聖なバリアに守られているよう。
    20090518b

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    ・今日の<いおろろ1枚> 「紫陽花の子」
    ・1年前の今日の日記 「お宿はどこだ?」
    ・1年前の<いおろろ1枚> 見えない空気 「御神輿」

    プロフィール

     葉月いお

    Author: 葉月いお
    オフィシャル基地<io日和
    ―魚の庭― Photo綴り
    極楽とんぼの「映画会」
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