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生姜紅茶

取材で石原結實先生にお会いしたライターさんが、やたら「生姜紅茶がいい」と言うではないか。
「その生姜紅茶なるものは美味いのか?」
と訊くと、
「先生のところで出されたが美味かった」
とのことで、さっそく作ってみた。

コーヒー党なので、いただきものの紅茶はほとんどお客さん用に消費しているのだが、それでも余ってしまう紅茶の数々。試しにアップルティに、冷蔵庫で仮眠していたチューブ入りのおろし生姜をムギューッと絞り出し、混ぜ混ぜして一口。

あら、美味しいじゃない。

ゆっくりいただくどころじゃなくマグカップは空になり、2杯目、3杯目に突入。すると、体がぽっぽとしてきて額にはじんわり汗が。

石原先生の持論によれば、「身体の冷えが免疫不全の病気を招く」ので、生姜も紅茶も体を温める作用があるため体にいいのだそう。
それにしても、こんなに美味しく感じるのは、冷え性のせいだろうか?
左上の歯が疼いていたのまですっかり治ってしまった。
最近、夜になると急に風が冷たくなるせいで、少し風邪気味だったらしい。風邪をひきかけると奥歯だか親知らずだかが疼くのだ。

取材に行ったライター氏は、石原先生に会うなり、
「あなた、糖尿病だね」」
と見抜かれてびっくりだったそうだ。
ライター氏の場合、先生が提唱するプチ断食で持病の糖尿病が治る可能性が高いらしい。

ちなみに「プチ断食」とは、朝食は黒砂糖か蜂蜜を入れた生姜紅茶に、リンゴか人参のジュース。昼は軽い麺類。夜は普通に飲んだり食べたりしていいというもの。
そこで一日実践してみたライター氏によると、妙に体の調子がよい感じで、夜の食事の満腹感が自然で重たくないのだそうだ。ま、簡単に言うと「食べ過ぎ」だったわけだ。
問題は継続できるかどうかだが、ぜひとも続けてもらって効果のほどを知りたい。

プチ断食はともかく、生姜紅茶はすこぶる美味しい。
不思議なのは、これまで一日に5~6杯は飲んでいたコーヒーをまったく欲しなくなってしまった。
紅茶はたくさんあるし、さっそく生姜をたっぷり買ってきて“ブームは生姜紅茶”なり。
ただし、やけにトイレが近くなるのですが、先生、飲み方を考えないとマズイですよね?

ioWEB
・1年前の今日の日記 「ブレンド・クラブ <Vol.1> 」
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木の気?

あまり寝られなかったせいもあって、珍しくちょっぴり二日酔い。大したことはないが、体の中で力が弱々しくなっている感じがある。弱々しながら、銀行の帰りに何となく足が靖国さんへ向いてしまった。

境内にある神池でも眺めて、ポケーっとエネルギー補給をしようと思ったら、まあ、ベンチが満員。なのでベンチ後方の桜の木が植わっている場所でぷらぷらすることにした。

そこには、桜の木たちを見守るような大きな松の木がいる。この木がいおろさんのお気に入り。
まっすぐに高く伸びる松の周りは、人がいたためしがない。
今はもう葉を茂らせるだけになった桜の木は、花の時期が終わると途端に人が寄らなくなる。そのうえ松の木となれば、桜の花の時さえ地味で人目を引かないようだが、とても木肌の美しい木なのだ。

「少し触れさせてくださいね」
小さな声で断って、その美しい松の木に掌を当てさせてもらった。

植物に触れるときは声に出さずとも心の中でそっと断りを入れる。
自分だって見ず知らずの人にいきなりベタベタ触られたら嫌だ。それに何より、花や木をじっと見ていると、人間の世界と一線を引くやわらかい繊細なバリアがあるように感じるのだ。だから驚かさないように断ってからそっと手を伸ばすことにしている。

暫し、松の木に触れて目をつぶる。硬そうに見えるけど、木肌からはしっとりした柔らかさが伝わってくる。と、あら?! 指先から手がじわんじわんしてくるではないか。そのうち足の裏からも微かな振動が響くように“じわんじわん”がくる。

これって二日酔いで弱っているせいなのか? それとも松の木の気?

このあと境内の砂利道を歩いている間も“じわんじわん”が続いて、体ごと痺れるような感覚だった。
でも帰ってきたら、弱々していたのが回復したみたい。

よく分からんが、木の気をいただいたことにして、松の木さん、ありがとう。
脳血栓とかじゃないことを祈る。

ioWEB
・1年前の今日の日記 「夜中のサパー」
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バタ臭い酔いの中で

飲まなくても平気だけど、飲むと美味しいのがお酒。
食事のお供で飲むのが主なので、食べずに飲むような呑み助ではない。でも、たまに「今日はお酒が飲みたい」ってときがある。お酒の場の雰囲気に浸りたくなるのだ。
こういうときに安っぽい居酒屋系はブーーーー! 騒いでうるさいのがいるし、雇われビトの被害者的な愚痴は聞こえてくるし、お酒は薄いし、ね。
焼酎を飲ませる和風バーなら許容範囲だが、やはり和より洋が好き。いおろさんは子どもの頃からバタ臭く(西洋かぶれで)育っているのだ。

今夜は近所の英国風パブへ。
「とりあえずビール」はやらない。エール(イギリスビール)は好きだけど、お腹がいっぱいになってしまうのでパス。

ジントニック、モスコミュールで軽くエンジンを温め、アルコール度数30℃のタランチェラで快走。話が弾んできたところで、バランタイン(スコッチ・ウイスキー)のロック&ストレートで緩く遠乗りに入る。ゆるゆる飲みたいときは遠浅酔いできるウィスキーなのだ。
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心地よく飲んでいると、人は妙に素敵な言葉を口走るものである。
今宵、いおろさんのことを「イタリア人のようだ」とのたまう編集者にその理由を訊いたら、「悠久の自分を意識して生きているから」だそうだ。

「悠久の自分」。
よく分からんが素敵だ。
でもって言われてみると、「悠久の自分」というものがあるような気がしてくる。

素敵な言いようの「悠久の自分」はよく分からないけれど、少なくとも「自分軸」を自覚することには努めている。だから、横並びの価値観に興味がないのだ。
仕事、結婚、家庭、果ては生き方まで、多くの人がするようにしていれば安心できるタイプではない。あえて変わった道を選んでいるのではないのだが、いちいち「自分にとってはどうなのだろう」と幼い頃から考えずにはいなかった。
もちろん自分の答えが人並みな方向であれば、それはそれで構わない。変わった人間になりたいわけではないのだから。ところが単に人並みに行こうとすると、自分の中でエネルギーが行き場を失ったようになってしまうのだ。それだけに留まらず、痛い目に遭ったりもして、しまいには生きているのがつまらなくなってしまう。

あまり考えることもなく、人並みを求めてその枠に収まって生きられるなら、それはそれでいいと思う。ただその中で、他人と比較して自分を卑下したり、人並みであることが順調の証になっていて、パーツが一つでも外れると途端に不安になったり恵まれていないように思うのであれば、自分の今の価値観(考え)は自分にとって何なのか、を考えてみるといい。大事にしているところがズレているせいで、自分の不安や焦燥感を生み出していることは往往にしてあるものだ。

バタ臭い酔いの中で体はゆらゆらしながらも、自分の軸が浮き彫りになってくる心地よい時間であった。

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足にまかせて森林浴

連休後半からの雨が止んだ途端に、植物の匂いが急激に勢いを増して鼻に届く。窓を開けているだけで、水気を含んで呼吸しているかの緑葉の香りが漂ってくる。
樹木の生々しい甘くささ。
ときおりジャスミンの爽やかな香りがふわっと鼻をかすめて消えいく。

足にまかせて散歩だ!
と勢いよく外に出るも、またまた行き先は皇居東御苑。

やはり今の季節は森林浴でしょう。
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東京の下町生まれで、幼い頃は道路が遊び場だったせいか土や苔が苦手。なので、あまりにワイルドな湿った自然の中は歩いても気持ちよくなれない。その点、東御苑の森林は日当たりもよくジメジメした感じがしないのが嬉しい。蛙も出てこないし。
『もののけ姫』のサンに言わせれば、神のいない森だろう。
人の手が充分に入った自然だが、むやみに触れてはならない畏れがなくて丁度いい。

以前、ヒーリングをやる方に「土の上を歩いたり、自然に触れたりしたほうがいい」と言われたことがある。
何がいいのか?
風浴で呼吸が深くなるように、体の中で縮こまっていたエネルギーが解ける(ほどける)感覚がある。
肩を揉んでもらうと、慢性化して感じなくなっていた肩凝りが分かるのと同じ。

ちまちましたことばっかり気になるようなら、風浴と森林浴をこまめにするがよろし!
と言っても、ちまちましてると自分で気がつくのが先決だけど。

一時間ほど緑を堪能して、苑を出ようとする途中で目に留まったのは“サンショウバラ”。
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「これは何という花ですか?」
おじいさんに訊かれたので、植物の名前が書かれた札をさりげなく見つけて教えてさしあげた。
来年まで憶えている自信はありません。

ioWEB
・4年前の今日の日記 「効果あり!?」
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運に負けない

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嫌な予感というのは当たるもので、予感があるなら避ければよいのだけれど、イヤ~な感じが根拠なくするだけで、どんな嫌なことが起こるのか分からないから困る。

何となくだが、確かにある嫌な感じを持ったまま銭湯へ。
パッと見たところ、洗い場は混んでも空いてもいない微妙な状況だった。

銭湯で大事なのは、自分のラカンの場所をどこにするかである。
私の場合、ご近所の地元客ではない引け目があるので、なるべく入り口に近い下座を選ぶことにしている。それが今夜は、どの列の下座も空いていなかった。

次に、ラカンの場所を決めるのに大事なのは、できればラカンが一つ置きに埋まるよう自分の場所を確保することである。
気をつけていても、隣の方にシャワーの飛沫や桶の流し湯がかからないとは限らない。
銭湯の平和を守るためにも、お互いに悠々とバスタイムを過ごすためにも、ラカンは一つ置きがいいのだ。
なのに今夜は、どの列も一つ置きに場所が埋まっていた。と、中央の列に2個空きの場所を発見。空いているどちらかを選ぶことにした。

一番湯船に近い上座は、60代(か70代?)と思しき小柄なご婦人。
銭湯に通い慣れてる人らしく座椅子など使わない立て膝座りである。その方の隣のラカンが二つ空いていて、次は場所取りを示す桶と座椅子。
常連ふうのご婦人寄りか、場所取りを示す桶と座椅子寄りか、で一瞬迷ったが、とっさに常連ふうのご婦人の隣に場所をとってしまった。途端にその老婦人が、隣に来た私と距離を取ろうと、桶ごと座る位置を湯船寄りに引くのが視界の端に入った。
過敏だ。
まだ飛沫の一滴も飛んでないって。
お湯、出してないしー。

場所取りだけの桶と座椅子寄りのラカンのほうに移ろうかとも思ったが、移動した途端に持ち場の主が戻ってきて、今度は逆サイドでピリピリされるかもしれない。などと敏感なことを考えて、やたらに動けなくなってしまった。

ここで頑張ろう!

ラカンから桶に湯を出すと、また、隣の老婦人が湯船寄りに若干身を引くのが分かる。
気を遣ってしょんぼりしながら、桶に汲んだ湯を何度か静かに体にかけ、固定式のシャワーに手をかけた。
風呂では髪から洗う習性。でもって、髪を満遍なく濡らすには、シャワーがいいんだ、シャワーが。
恐るおそるシャワーのレバーをゆっくり引いた。
あまり勢いよく湯が出ないよう慎重に。
と、婆さんがご婦人が、それまで以上に大きく反応した。
湯船寄りに退くどころか、タイル張りのラカン列からはみ出す位置に桶ごと移動したのだ。

もー、超過敏じゃない? それって。
ピリピリしているのが伝わり過ぎて、こっちはしょんぼりからうんざり。
嫌な予感が的中し過ぎると、自分の運を呪いたくなる。

ここで運に負けてはダメ!
状況をよく見ろ!


すると、同じ列の一番下座のご婦人が上がり支度をしているではないか。
暫し、そのご婦人の様子をうかがいながらシャンプー待ち。
油断はならない。
下座が空いた途端に思いもよらぬ他の下座待ちに場所を取られる可能性もある。
運の悪さに弱気になっていると、そういうことが起こりやすいのだ。

絶対に下座へ移る!

心を決めたところで、予測どおり下座が空いた。
小さな悪運は免れた。

私の銭湯歴は早6年になる。
最近では、ウチ風呂では満足できなくなっていて、おっきいお風呂なしの人生なんて“武術を見せないジェット・リー”くらいつまらない。
このまま10年、20年と銭湯通いが続き、果ては銭湯のプロと呼ばれる婆さんになっても、過敏症のぴりぴりババアにはならないようにしたいものだ。


io日和> <魚の庭> <ゼロ✦プラ

🌏1年前の今日の日記 <味見


  
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