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えこひいき

今朝方、夢を見た。

なぜか、同僚だった中国人のクウさんが出てきて、申しわけなさそうに言う。
「そうそう、紹介したい人がいるんだけど、なかなか会わせる機会がなくてねー」
クウさんとは何年も会っていないのに、いきなり「紹介したい人……」だなんてと思いつつ、ちょっと胸がときめいた。
「彼、27歳で、前から(イオさんに)ぴったりだと思って」
「えッ、(27!?)」

「やだぁ、クウさんったら、わたしのこと幾つだと思ってるんですかー?」
嬉しいのを押し殺して聞き返そうとするところで、目が覚めた。何と寝覚めのいい夢だ。

今日は会計事務所の若(わか)が決算書類を持って来る日であった。若の推定年齢、27~30歳くらい。でも、28でも29でも30でもなく、27が見た目しっくりくる感じ。
クウさんが紹介したがってたのは、彼のことか?
それならクウさん、もうとっくに会ってるよ。

知り合いの会計事務所が送り込んでくる担当者は、1~2年で変わる。それが皆、20代後半から30代のナイスガイ。その中でも若は、これまでにないトリプル・ナイス・レベルなのだ。ヒュー・ジャックマンの皺と日焼けを失くして和風テイストに若返らせた色白の好青年。NHKの大河で、どこぞの若君をやらせたら似合うだろうなあ、と妄想が膨らむ。それがスーツを着てやってくるのだから、決算の数字なんかどうでもいいけど、楽しくないわけがない。

思えば、わたしの色白きれい系の男子好みは幼稚園時代から始まっている。
恋混じりな意識で一目置いていた、高木しんいちくんも、ちのくんも、額の端に血管が青く透けて見える色白少年だった。ただし気がつくと側にいて一緒に遊ぶのは違う子で、目の保養と付き合う相手は幼少の頃から別物にしていたのである。誰に教わったのでもないはずなのに、女としての知恵を自然に使っているとは、転生の賜物だろうか。

その若が先週、前期決算の証憑明細に関して尋ねてきた。若が訊いているのだから、as soon as possible でお答えしようと思ったら、証憑明細を束ねた綴りが見つからない。あるべき所にあるべき物がないと、血の気が引いていく。片づけ魔で捨て魔でもあるものだから、何かと一緒に葬ってしまったのかもしれない、と半日くらい意気消沈してしまった。
「己(おのれ)、最近、弛んでいるのではないか?」と自分に問うてもみた。でも、ないものはない。
仕方がないので、「証憑が見当たらず、引き続き探してみます」と正直に打ち明け、ひょっとしてと思う所を期待薄に探しているうちに、ひょうっとしたら若の手許にあるのではないかという気がしてきた。
すると翌朝、「こちらにありました」と若からの爽やかなメールが届いていた。

 なーんだ、よかった。

心の広いわたしは、若を責める気にもならない。
ちょっと待てよ、ホントに心が広いせいなのか?

ルックスの点だけじゃなく、若は物言いが素直で利口ぶったところがなく、持ってる空気が騒がしくないところで、かなりわたしのポイントを稼いでいる。
見た目が整っている分、第一印象は薄いのだが、そこがまた鼻につかなくて好ましいのだ。

若が帰ったあと、事務所にいたクマさんについ言ってしまった。
「若だと間違ってても許せるんだよね~、きっと」
「それ、完全にえこひいきだね」
「そうなの、えこひいきなの」
そう、わたしの心が広いのではなく、えこひいきなのだ。

◆ えこひいきは止めようのない心の自然現象

えこひいき。
こればかりは仕方がない。だって、自然に気に入ってしまうのだもの。
贔屓されるにはされるなりの好さがあって、好ましさが目も心も楽しませてくれるのだから、ある意味これはギヴ&テイク。してはいけないほどのえこひいきをしなければいいのだ。

たとえ若が、わたしの知らないところでプレイボーイぶりを発揮して女の子をブイブイ言わせていたとしても、それはそれで「いいんじゃない、モテるのだから仕方ないでしょ」となるに違いない。むしろ、そんな若も見てみたい。
ま、わたしは目の保養と恋愛は別物の前に、遊んではもらえないでしょうが。

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・1年前の今日の日記 「悲しいニオイ」
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サツキとツツジ

本日も“オレの庭”のように親しむ靖国さんへ。

内苑では、鉢比べ的「さくら草展」をやっていた。
20090419a

「さくら草って道端に咲くやつでしょ?」
意図せず大きい声で言ってしまったけど、鉢植えのさくら草は野良くささがなくて、手をかけられた清楚なアイドルのよう。一鉢500円。

外苑の参道を歩いていたら、木曜日は八重桜に夢中で目に入らなかったのか、大村益次郎さんの銅像近くに黄色い花の群れが。
20090419b
たぶん、おそらく、これは八重のヤマブキでしょう。
20090419c

最近、もめているのが、サツキとツツジの違い。
わたしは、花が大きいのがサツキで、小さいのがツツジと思っていたら、ライターのクマさんは逆のことを言う。
クマさんは「スミレってどんな花?」と訊くくらい植物に疎いのに、サツキとツツジに関しては自信満々で譲らない。
そこで、白黒つけようと調べてみた。

一般的に、サツキはサツキツツジを指し、ツツジは花が大きい小さいではなくて、ツツジ属の総称。
他にも咲く時期で名称を分けたりもあるようだが、分かりやすいレベルの解釈で白黒つけてみたら、二人とも半々くらいに正解で間違い。と、クマさんには、まだ教えていない。一晩、二晩、置いてから教えてやろう。

これは神池に咲いていた“どうだんツツジ”。すずらんに似た白い小花が可憐。
クマさんが自信を持って教えてくれたけど、一応、調べたら正解だったので、覚えて大丈夫。
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十代のポリシー

人並みに保険なんぞには入っている。
大きな病気もせず怪我もせず、成人病もなく医者要らずに無駄な気はするけど、知り合いに保険屋さんがいるので、彼の見立てで支払いが負担にならないやつ。
それとは別に、20代の頃から年金保険は続けている。意外に先のことも考えてる“きりぎりしゃん”なのである。ふっ

これまで節税目的で入っていた保険を別のものに切り替えることにしたので、保険屋のツムギ氏に来てもらった。
保険の話と会計の話は、説明してもらってるときは、ものすごくクリアに納得してるのに、印鑑を押した途端に頭から内容が消えてしまう。つまり、他人に自分の言葉で説明できるようには把握してないってことだ。毎回、この点を反省してるのだが、一時的にでも納得したのだからよしとしよう。

ツムギ氏を見ていて、つくづくこの人は保険屋が適職だなあと感心する。
保険屋さんになった知り合いが他にもいたけれど、契約が取れない外回りが辛そうで、結局は尻つぼみになって辞めてしまった。それに比べてツムギ氏は、商売以外の話は面白くないけれど、保険については聞いてるこちらが心地よく感じるくらい。おそらく本人も、保険の話をしているときが一番楽しいのではないかと思う。
そこまでになるには彼だって努力はしただろうし、キャリアが長いなりに数年前には鬱々していた時期もちょっぴりあるのは知っている。でも、数ヶ月ぶりに見た彼の顔は、憑きものが落ちたようですっきりしていた。

このツムギ氏の武器は、人脈。
高校生のときに、「自分は人脈で生きていこう」と思ったのだそうだ。
思ったとおり、彼は立派に人脈を活かして生きている。

わりと男性は、のちのちの人脈を考慮して大学選びをしている人は少なくないらしいけれど、わたしなんかは十代の頃に、人脈のことなど、まったく、一切、頭になかった。わたしにとって、“人脈”という言葉は文字としてしか存在しなかったのだ。だから人生に絡めて考えることがなかった。
どおりで、人脈がないはずだ。
まあ、“人脈”について考えて生きてこなかったのだから仕方がない。

でも、わたしにだって十代のときに、自分の人生を生きるにあたり「これだ!」と思ったポリシーはある。

 敷かれたレールの上を行くのが人生ではない。

誰の言葉なのかさっぱり不明なのだが、続きもしない日記帳を買ったら名言集みたいなページが付いていて、その中でこの言葉だけが、15歳の少女の胸に響いたのだ。
自分でこの言葉を書いた紙を机の前の壁に貼って眺めたりもした。
「そうだ、そうだよ。
 レールの上を行くのが人生ではないんだ」
思ったとおり、少女は人並みのレールから外れて生きるようになってしまったみたいだ。
怖ろしき哉、十代のポリシー。

世の中のことも人生のことも解っていないながらも、人は、十代の頃にはすでに自分の人生のベースになる考えを持っているものだ。

 三つ子の魂百まで。
 十代のポリシー死ぬまで、か?!

十代の頃に何を考えていたか振り返ると、自分の生き方が腑に落ちるかもしれません。

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レントの精神

土地付きマイホームを持たない“きりぎりしゃん”は、当然、庭も持っていない。が、“自分の庭”と思っている庭はある。
「オレの庭だから」ってやつ。

今日も30分ほど“オレの庭”散策。

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花見客の賑わいが消え、のどかな空気を取り戻した靖国は、花舞台をすっかり終えたソメイヨシノと入れ替わりに、八重桜の出番になっている。

神門から内苑に入ってすぐのピンクの花は満開。
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こちらは外苑にある“慰霊の泉”の近く。
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白っぽい花の中に緑のメシベが二本立っているので、八重桜の中でも普賢象(ふげんぞう)と呼ばれる種類と断定。
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靖国だけでは歩き足りないので、ついでに北の丸公園も“オレの庭”にしておきましょう。
盛りの時季にはまだ早いが、美味しそうに真っ赤なつつじ。
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植物が次々とバトンタッチで美しい姿を見せてくれる場所が近くにあるのは、ホントに嬉しい。

ブロードウェイ・ミュージカル『レント』の中で、ボヘミアン的に生きるアーティストたちが、家賃に困って歌うシーンがある。

 すべては神から借りてるもの

こんなことを言われたら大家さんは呆れかえってしまうだろう。でも、マイホーム主義や資産主義で、いくら土地を所有していようと、所詮はみんなで地球を借りているに過ぎないのだ。
この“レントの精神”で考えると、自分のものにしなくても、所有するように大事にできるものは周りにいくらでもある。

事務所は借り物だけど、居させてもらってる限りは自分チの感覚でキレイに大事に使いたい。庭と呼ぶ諸々の場所は、手入れはお任せだけど、“オレの庭”のように親しみたい。

ただし、
◆ “オレの庭”気分を“環境を所有している”と錯覚するのは、“地球レントの精神”に反する
のである。

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夜の公園パラダイス

ときどき近所の公園で遊んでみる。
昼間は子どもたちと付き添いのお母さんたちがたっくさんいるので、オトナの仮面を守って遊ばないけれど、夜なら大丈夫。

まずは、ブランコ。
子どもの頃は立ち漕ぎでぶんぶん揺らしても平気だったのに、オトナになるとそれは怖い。だから、お行儀よく座ったまま足をスイングして、できる限りの大揺れを試みる。が、「ある程度まで」にセーブしてしまう。
怖さしらずな漕ぎ方ができなくなったのが悔しい。

で、滑り台。
そんなに高くない、せいぜい台の上は地上3メートルくらいなのに、滑り出すのに気構えが要る。
遊園地のプールのウォータースライダーのほうが気楽なのは何故?
ひゃーっと滑り降りて、自分の顔がヘラヘラと理由なく笑っているのに気づく。子どもなら滑って昇ってを繰り返すところだけど、一回で充分になる。

それから鉄棒。
逆上がりはとっくにできなくなってしまった。地面を蹴ってもお尻があがらない。
2年ぐらい前に、何度もトライしてようやく一回できたが、もう、いい。
小学生のときは、逆上がりで鉄棒に上がったあと、足の振りの勢いで後ろ回転・前回転ができたのに、もう、無理。
と、諦めたふりして夜中に練習してみようかしら。希望は捨ててない。

最後に、手渡り。
お猿さんみたいに鉄の棒を手で渡っていくやつ。
これが、ぶらさがるだけで精一杯になってしまった。
つまり、もともと腕の力が弱かったのが、筋力がすっかり衰えてしまった証拠。逆上がりができなくなったのも、そのせいなのだ。こんなんでは、ビルとか崖から足を滑らせたときに、どこかに掴まって身を救うことはできそうもない。

桜も散って、夜の公園は静かなものだ。
闇にまぎれて葉の茂る影のベンチにはカップルがいたりはするが、暗いから見ない。こっちが見なければ、いないも同じ。
誰かに見られていないかきょろきょろしては、一応、人影がないのを確認する。誰もいなけりゃ、夜の公園パラダイス。
子どもの遊具に、オトナになってできなくなったことを数々思い知らされる夜の遊び場なのである。

20090411a

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・3年前の今日の日記 「ぐぁんばる」
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