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    縁のオフシーズン

    ちょうど1ヶ月前のこと。
    友人のジョナが、長いこと契約社員で勤めてきた会社の更新が3月いっぱいになりそうだと知らせてきた。
    そこで、わたしを介してジョナのことをよく知るOさんが、ある会社の経営者M氏に仕事の口を打診してみようかと言い出した。
    M氏とは、わたしも年に何度か食事をご一緒させていただく仲。だがなぜか、その方とのお付き合いには激しく波がある。一年の後半から年末に向かっては、お会いする機会が頻繁なのに、年が明けるとぱったり連絡が途絶えるパターンなのだ。
    ところが今年に限っては、1月に入ってからも数回お会いして食事に行ったりしていた。そこにジョナからの連絡があり、Oさんの提案に、わたしはちょっとばかり期待をかけた。

    勝手な目論見だが、友人ジョナにとっても経営者M氏にとっても双方悪い話じゃない、ように思えた。
    事業内容に興味を示した彼の語学力やマーケティング力はM氏の役に立ちそうだったし、ジョナにしてみれば正社員になれるなら毎年の契約更新でビクつくことがなくなる。
    ただ、わたしの中で、彼がMさんの会社で働く姿が浮かばないのだけが気になった。

    わたしに未来を観る能力があるとは言わない。でも、イメージできないことは起こり難い。
    イメージがあっても起こらないこともある。が、イメージが浮かばないのに起こった例はない気がする。
    “イメージがない”というのは良くも悪くも可能性としては最強なのである。

    それでも、とにかくOさんは「打診してみよう」と言うし、ジョナも乗り気の様子だったので、根拠のない未来予測など無視することにした。ところがである。

    その話が出てからというもの、M氏との連絡が途絶えた。
    Oさんは週に一度は所用でMさんからお声がかかっていたというのに、ぱったり会う機会がなくなり、連絡をしてもタイミングが合わずつかまらないのだ。

    Mさんがわたしたちの企てを知る由はない。
    「2月に仕事の山がある」とは聞いていたので、気の抜けない状況なのかもしれないが、それにしても、ぱったりぷっつり。何だか仕組まれている気さえしてくる。
    いや、仕組まれているとわたしは思っている。
    何に?
    縁のアレンジ力、というか、運命に。

    気がつけば、2月も終わり。
    わたしのMさんとのお付き合いはオフシーズンに入ってしまったようだ。

    ioWEB

    父への反省文

    父親の誕生日だったので、父のことを。

    ウチは女勢力の強い家族である。
    母親と娘二人の女勢力が3、に対して男勢力は1の家庭。こういう比率で、父権がどのくらい力を示せるか。支持率は限りなくゼロに近い。
    娘2人は、何かと言うと母親側に付いてしまう。
    お母さんは正しい。お母さんは大変。お母さんは大好き。
    母親神話の価値観3拍子そろった偏り方である。
    じゃあ、お父さんは?

    夫婦喧嘩があれば父親が悪いと思っていたし、働いて養ってもらってるわりには「お父さんは大変」とはほとんど感じていなかったし、小学校にあがる頃には父とは一緒に歩きたがらなくなっていたし、今になって考えると、父の立場は散々なものだ。

    2~3才の頃から、何となく父といるのは気恥ずかしさがあって、ベタベタ擦り寄って甘えた記憶がない。気難しい人でもなく、子どもを寄せ付けない厳しさがあったのでもないのに、なぜか父に対してストレートに接することができずに育ってしまった。

    父親に相談事を持ちかけた憶えもない。父の意見を特に求めたこともない。
    とにかく子の立場から見るに、家庭の全権は母親にあった。進路進学などのあらゆる許可は、母のOKが出れば父を説得するまでもなく、父にいくら承諾を得ても母の壁を打ち崩さなければ前へは進み難い。父には家計を掌握する母を説き伏せる術はなく、家事と家族の世話を一切合切こなしていた母は、一家を治める王さまの権力を持つ存在に映っていた。小学校の作文に「母は家族の大黒柱です」と書いたくらいだ。男勝りではない専業主婦の母が、女王さまではなく、なぜ王さまかと言うと、絶大なる家庭内統治力と家族の信頼は、王さまのほうが相応しく思えたから。子供がオネエサンとオバサンを自然に呼びわけるようなものだ。
    じゃあ、父は?

    王さまを慕う家臣か下男か。
    家庭内のあらゆる実権を握られ文句を言われながらも、父は母のことを悪く言うどころか、娘たちの母親神話を支持していた。
    お母さんは正しい。お母さんは大変。お母さん大好き。
    そう、父も母が好きなのだ。帰宅して母の「おかえり」が聞こえないと、「おかあさんは? おかあさんは?」が始まる。玄関から家中を探し回っていた。

    ここで、わたしが育った家庭がカカア天下であるのはもう隠しようもないが、母の名誉のために付け加えると、母が王さまだったのは家庭内に限ったこと。一歩外へ出れば、一家の主としての父を立てていた。それと、“母親は素晴らしい存在である”と自画自賛でアピールする“母親神話愛好族”ではなかった。

    父の人権を考えるようになったのは、社会人になったときである。
    二十歳になったのを機に学費は自分で稼ごうと、わたしは学校の在籍を二部(夜間)に切り替え、卒業目前までの腰掛就職をした。入社から3日ほどして、何があったのでもないが、ふと、父は偉いなと感じた。
    ずる休みもせず、毎日、会社に通うだけでも父は偉い!
    能天気そうに見える父にも、外で耐えていることや口にしない感情があるのかもしれないと思ったのだ。
    突然に、それまで父を労わったり気遣ったりしてこなかったような気がした。
    だからといって、急に優しい娘になれはしなかったが、それから父親を見る目が少しづつ変わっていった。
    父にも言い分があったかも。父も大変だったかも。
    父のことも、案外、好きかも。
    わたしの中の母親神話の絶対的な価値観が崩れるのは、もっとあとになってのことだが、父の人権を尊重する気持ちが芽生えた瞬間だったのだ。

    父は中卒で、しがない時計の技術屋さんだった。それでも娘二人を私立の学校に通わせ、受け継ぐ財産もなかったのに、家族のために家を2度、建てた一家の主である。母の協力あってのことだが。
    「もう二度と使われるのはごめんだ」と、自宅に作業場を作って自営に転じた時期があった。が、再び会社員に戻り、転職も何度かしていた記憶がある。香港に一人で駐在に出され、アジアンな臭いにまみれて帰ってきたときは、女家族全員に「臭い、臭い」と疎まれた。それでも嬉しそうにへらへらしていた父である。

    父に対する娘の反省は、思い出すとぼろぼろこぼれ落ち書き切れやしないが、思いつくままに。
    その1 高熱を発したとき、自転車の後ろに乗せて猛スピードで病院に連れていってくれたのに、誘拐された子のように泣き叫んでごめん。
    その2 小学校の運動会で、クラスの子に「あれ、お父さん?」と訊かれて、「ううん、親戚のおじさん」と言い張ってすいません。
    その3 高校生の頃、「人生、別の人とやり直すなら今のうちだ」と母親に離婚を薦めたのはわたしでした。具体的な当てがあったわけじゃなく、言ってみただけです。

    脳血栓で半身麻痺になり入院したあと、家に戻った父は、やけに老け込んだ姿になっていた。
    自宅療養がいつまで続くか分からなかったため、会社をクビになり、そのまま老後の生活に突入するかに見えた。
    そんなときに、
    「老人の気になってるのやめてよ!」
    何ともキツイ、涙まじりの一撃を食らわせて申しわけなかったです。
    でも、あの後、めきめきと体が回復して、1ヶ月もしないうちに新しい仕事が見つかったよね。ショック療法だと思ってください。

    ここ数年、父の誕生日が来るたびに、本人には面と向かって言えないけれど、済まない気持ちで諸々の出来事を思い出す娘である。娘のすることは何でも無条件で喜ぶ父だから、許されているだろうが、いつか寝ている隙にでも詫びてみようかと思う。

    ちなみに以前、父と母の前世の関係を観てもらったら、アジアのある部族の“女王と奴隷”だったそうだ。もちろん、奴隷は父親のほうである。どうせなら、“王さまと奴隷”にしてほしかった。

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    ・1年前の<いおろろ1枚> 「あたしの知ってる神さま」

    肉食人の米人種

    インド料理、イタリアンときて、今夜はステーキ。

    肉はいい。
    肉は心が華やぐ。

    ベジタリアンになろうと、肉を絶ったことがある。
    で、6ヶ月くらい経ったある週末、もー無性に肉が食べたくなった。堪えきれなくなった休火山が、突如、活動し始め、噴火の準備を始めてしまったのだ。

    肉と言えば、生姜焼き。
    醤油の効いた生姜焼きを白いご飯で食べる。
    肉食人の米人種にとって、こんな美味いものはない。

     生姜焼き、ご飯、生姜焼き、ご飯、生姜焼き……。

    キュウリとトマトも忘れてはならない。生姜焼きの味をしめたお口の中をリフレッシュにしてくれる、フレンチで言うなら食休みのシャーベットの役割なのだ。キュウリとトマトのおかげで、生姜焼きが再び新鮮な気持ちで頬張れる。

     生姜焼き、ご飯、生姜焼き、ご飯、生姜焼き
     キュウリ
     生姜焼き、ご飯、生姜焼き
     トマト
     生姜焼き、ご飯、生姜焼き、ご飯、生姜焼き
     キュウリ

    と、ご飯3杯はいける。

    肉を食べないとどうなるか?
    心が乾く、萎れる、枯れる、生きてる気がしない。
    それは、何も起こらない平坦な人生と同じ。

    無性に肉が食べたくなったベジタリアンの頭は、生姜焼きのことしか考えられなくなっていた。
    朝からご飯を炊いて、スーパーが開く時間に肉を買いに走った。まっしぐらに肉売り場へ直行。
    おっきな生姜焼き用パックを2つ、素早くカゴに入れる。キュウリとトマトも忘れてはならない。
    他のものには目をくれず、まっしぐらにとんぼ帰り。無言で肉を焼く。
    着々と焼きあげた生姜焼きは、大皿に山となった。
    炊きあがった白いご飯に、山盛りの生姜焼きを黙々と平らげたあの日。

    それ以来、肉を絶つなんて馬鹿なことは考えない。
    ベジタリアンがいいなんて思わない。
    健康保険証も使わずに損している、じゃなくて、済んでいるこの健やかな体で、肉を食べて何が悪い。

    そういえば、東大出身のお医者さんが、知り合いのライター氏に嘆いていたそうだ。
    心臓が悪い患者さんに、「水をたくさん飲んではいけない」と忠告しているのに、ちっとも言うことを聞かないのだとか。
    患者さん曰く、「テレビで、みの(もんた)さんが水をたくさん飲むと体にいいと言っていた」と。

    人は、聞きたい人の言うことにしか従わないものだが、体にいい健康法は万人に通用するわけではない。人それぞれの体質や状態が違うのだから。
    肉が体に合っている肉食人は、ベジタリアンから野蛮に見られようが、血の気が多いと思われようが、肉を食べるのです。

    肉はいい。
    肉は心が華やぐ。

    ioWEB
    ・2年前の今日の日記 「ソナー音が聞こえる」

    ふのれーにゅ

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    新発売だそうで、ドリンクをいっぱいいただきました。

    一年中、事務所では珈琲かお茶類が中心。たまに生ジュースかカルピスを飲むくらいで、巷のドリンクに疎いものだから、何でも新商品に見えてしまう。けど、新商品ですって。

    左から
    きりっとマンゴー まだ飲んでません。

    きりっとバナナ バナナ香る青いバナナ味で爽やか。

    ラクベジ 酸味がすっきり。

    蜂蜜柚子酢 ブレンドクラブで使おうかと。

    とろとろ桃のフルーニュ “ふのれーにゅ”じゃないの!

    “ふるーにょ”と知っても、“ふのれーにゅ”と読んでしまう。
    雛祭りにいただこうかと。
    20090218d

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    適職・天職

    この人は仕事の選択を間違えてるなあ、
    と思うことがある。

    とくに接客業は、仕事ぶりが客の目に触れる職種。だから客としては、まさに客・観・的な視線で、接客がその人に合ってやっているのも判れば、何で接客なの?という人もいる。いわゆる、適職じゃないというやつ。
    大方は合ってる合ってないの中間くらいで、慣れや努力で仕事の楽しさを見つけられれば、それも適職。選択を間違っているというのは、誰のための接客なのかすら気がついていないように見える人のこと。

    よく行くイタリアンの店。奇をてらわず普通に美味しいところがいい。
    お値段もお高くなく、お店のスタッフの方たちは若いけれど感じのよい対応をしてくれるので、たまにお客さんを連れて行くこともある。
    それが去年の後半あたりから、ホール担当の顔ぶれが徐々に変わり、なかなか珍しく面白い人材を見るようになった。

    彼の仕事にとくに落ち度があるわけじゃあない。おそらくお店のマニュアルか指導に従って外してはいない、とは思う。
    ただ、とにかく面白くなさそう。
    面白くなさそうにやっているとは本人は気づいていまい。にこりともしない堅い表情には、「僕はちゃんとやってます」と書いてある。
    そこが、人間観察好きには面白くも映る。

    一度、おススメメニューに「和風カルボナーラ」とあったので、いったいどういうカルボナーラなのかを尋ねたら、
    「それは、和風のカルボナーラです」
    とあっさり教えてくれた。
    一緒に行ったお客さんが、この店はフランチャイズなのか訊くと、フランチャイズがよく分かっていない様子。
    実際、その店はフランチャイズで、ホームページの企業情報には、彼の顔に書いてあるより確かにちゃんと書いてある。
    自分が働いている店の事業形態くらいは知っていてもいいんじゃないかなあ。
    まあ、客に興味を示さないくらい店にも興味がないのかもしれない。なんてことを彼に言っても、「そんなことありません、興味ありますよ」と返してきそう。
    彼の場合、どう興味を持てばいいのか、興味を持つってどういうことか、が感覚のレベルから違っている感じ。本人は「好き」だと思っているものを、「その好きは本心の好きではないのだよ」と説明するのは難かしいのだ。

    接客が性に合っていない人にとって、客と接しても仕事の楽しさは感じられないだろう。
    声をかけられれば、自分のペースでしている作業を中断せざるを得ない。不意打ちで余計なことを訊かれたり、マニュアルにないことを頼む客もいる。まったくもって面倒くさい存在なのだ。

    だが、客あしらいの上手な接客は、面倒くさい存在にもなる客を面倒がらない親しみや、お世話をしてくれる人特有の包容力を見せてくれる。
    お店は接客のステージ。
    店の空気も食事の雰囲気も接客に左右されるステージで、どれほど魅力的に働けるか。それが自分主体でなく喜んでできるのが、接客業を適職とする人なのではないかと思う。
    そんな魅力ある働きぶりの人に会うと、早々に接客業に見切りを付けたわたしは、憧れ目線で楽しくなる。

    わたしが楽しいかどうかなど、彼にはどうでもよいことだろう。彼にとって今の仕事が適職かどうかなんてことも大きなお世話なのだ。
    でも、彼を見ていると思う。
    自分に合った仕事なのかどうかは、早いうちに自分で察したほうがいいなと。
    やるなら、仕事を好きになる努力はしたほうがいい。せっかくの働いている時間に、自分がつまらないのではもったいない。勘違いであっても、不器用であっても、適職だと思って嬉々と働くのも、適職への道ではないだろうか。そして、
    ◆ 天職は適職の先にある。
    こう言うわたしは、会社員時代は会社員が天職だと思っていたクチ。色んな目に遭ったけれど、心のどこかで楽しくはあった。

    今夜は三人でイタリアン。
    半額になっていた伊勢エビのスペシャル・プレートに、ピザと生スパゲティもいただきました。
    20090218a

    我らのテーブルを担当してくれたのは、一生懸命さがかわいい女性のスタッフさん。ほっとした。

    ioWEB

    接客業に憧れて

    「いらっしゃいませ」の業種に興味があって、一時期、日本料理屋さんにお手伝いに入らせていただいたことがある。
    学生の頃には、有楽町のフードセンター内のケンタッキーさんや丸の内の珈琲店で「いらっしゃいませ」のバイトをしていたこともある。
    物覚えはよいほうなので職場受けはよく、ケンタッキーの店長さんには「推薦するから社員にならないか?」などと就職のお誘いも受けた。
    そんなこともあって、自分では接客業がけっこう性に合っているのではないかと思っていた。
    ところがどっこい、改めて接客業をやってみたら、「違うな」と3日で判った。自分には合ってない、と。
    何がダメって、お客さんを相手にするのが心から楽しくない。考えてみれば、ケンタッキーの店長さんの言葉にまったくなびく気が起こらなかったのだから、今さらなのである。

    動きは機敏なほうだし、気が利かなくはないし、物覚えもよいほうなので、お店の大将にも重宝がられ、「あんたなら店ができるよ」とまで言われたのだが、ダメ。
    まず、やってて自分が喜んでやっている気がしない。だから、できると言われても嬉しくない。
    普段の生活の中では、ちょっとしたところでサービス精神を発揮して他人に喜んでもらえると嬉しいのに、それが商売になると、なぜか面白く感じないことに気がついた。

    それ以来、自分が接客業をやるのは諦めた。ただ、以前から接客の上手な人が働いているのを見るのが好きで、今でも憧れがあって興味深く見てしまう。
    ご近所のインド料理屋さん、アッサムのおにいちゃんがその一人。
    ネパール出身のおにいちゃんは、流暢に日本語を話す愛想のいい働き者。道で会っても挨拶してくれて、ちょっとした世間話もする。お店では、ネパールのご実家の話なども聞かせてくれる。
    たぶん他のスタッフの人たちもネパール出身ではないかと思う。そのおにいちゃん以外は、日本語より英語のほうが通じるくらいの日本語力なのだが、言葉の問題より、一生懸命に客に接しようとしている姿が「いいなあ」と感じさせる。
    彼らを見ていると、接客の技術よりも前に、「お客さんを喜んで迎える気持ちなんだよ、接客は!」と思う。
    わたしに足りないのはそこのところだろう。店の神棚に罰当たりなことをお願いしているようじゃダメダメなのだ。

    事務所界隈にはインド料理屋さんが何件かあるけれど、結局、ネパールのおにいちゃん他スタッフさんたちの謙虚な感じよさで、インド料理はアッサムが行きつけの店になってしまった。
    それと、ここのタンドリーチキンが絶品。ジューシーなチキンの旨味は、他の店では省いてしまいがちな高いスパイスを使っているからと、おにいちゃんが教えてくれた。

    20090217b

    今夜は、そのタンドリーチキンをぜひ食べさせたくて、知人と4人でアッサムへ。
    「美味しい」と言われると、なぜか自慢げ。自分で作ったのでもないのにねー。
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    20090217d

    食事のあとのチャイ(煮出したミルクティー)もマイルドで美味しいです。
    前に作り方を教えてもらったことがあるのに、試す間もなくレシピを忘れてしまった。
    知り合いからティーバッグのチャイをいただいたけど、言うまでもなく、アッサムの勝ち。

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    ・1年前の<いおろろ1枚> 「りんごであるなら」

    マヤちゃんのゴディバ

    その年のバレンタインは、義理チョコから完全に手を引こうと決めていた。
    優柔不断に、「それでも、あの人にはちょっと世話になってるし……」の今でいう世話チョコ的思いにも一切流されたりせず、私は非情な女になる気満々だった。

    何しろ、元上司が仕掛けた不本意な人事異動で、会社員生活最悪の状況に私の心は荒んでいた。
    日々、考えることといったら、配属されて数ヶ月の部署をどう脱出するか。
    今にしてみれば、あの最悪に思えた状況が幸いして会社員生活が刷新できたのだから、ジタバタしたことが笑えるくらいなのだが、渦中にいた当時は、甘ったるいチョコイベントなんかで周囲に隙を見せてはいけないと意気込んでいたのだ。
    本当は、そういう時こそ隙を見せて懐柔作戦に出るくらいの機転があればスマートだったのだろうが、私はしたたかな戦略家になる余裕が持てず、正面から開かない扉に体当たりするしかなかった。
    「わたしを他所へ出してください。ここではわたしは活かされません」
    機会があるたびに私は新しい部長に訴えていた。

    そんな時期のバレンタイン・デーを目前に、同じ部にいた派遣社員のマヤちゃんがひそひそ声で訊ねてきた。
    「チョコレート、どうします?」

    マヤちゃん、30歳。
    気立てがよくて愛嬌のある美人ちゃんなのに、なぜか彼氏いない歴が長そうなオーラが出ていて、案の定、マヤちゃんには付き合ってる人はいなかった。

    身を低くして机の影に隠れながら上目づかいで訊ねるマヤちゃんに、私はちょっと申しわけないふうを装い、
    「ごめん。わたし、義理チョコは卒業したの」
    と告げた。
    私が配属された部には、老若男子部員が部長を含めて5名。その義理チョコ5人分の資金を年下のマヤちゃん一人に負わせるのは気が引ける。だが、ここでひるんでは甘ったるい女子社員と思われかねないのだ。チョコで親睦を計るより大事なことがある。私の会社員生命をこの部署で埋もらせるわけにはいかない。非情な女になる決意を崩してはいけないのだ。
    そんな心の内の葛藤を抱え、済まなそうに見せている私の気持ちを察したのか、察するわけがないけれど、マヤちゃんは素早く「わかりました!」と快諾してくれた。
    これ幸いな表情は輝いてさえ見えた。

     なんだ、気にすることなかったわい。

    どうやらマヤちゃんは、一人で義理チョコするほうがよかったらしい。
    そのマヤちゃんが、再度、私の席にやってきた。

    「やっぱり、ゴディバですよねえ」

     えーーーーっ!
     義理チョコにゴディバ?!

    マヤちゃんの太っ腹さに目を開いてのけぞりかけると、
    「やっだ、全員にじゃないですよ!
     アイツだけですよ、当たり前じゃないですかあ」
    そう言いいながら、私の肩をパシパシ叩くマヤちゃんの目に、したたかな戦略家の炎を見た気がした。

    マヤちゃんの企て。
    義理チョコを隠れ蓑に一人にだけ本命チョコを渡そうというもの。
    どおりで「これ幸い」って顔をしたわけだ。で、ゴディバはもちろん本命の一箱だけ。

    その本命とは、歳はマヤちゃんより一つか二つ上で、ルックスは悪くない。ただ、雪国出身のせいなのか、やけに寡黙な男で、彼女がいるのかいないのかはもちろん、彼のプライベートは同年代の同僚たちにもほぼベールに包まれていた。
    雪国くんに狙いを定めたマヤちゃんによれば、
    ・彼の寡黙は素朴
    ・話しかければ、けっこう喋る
    ・シャイがゆえに、なかなか恋愛のチャンスがない
    という身近な掘り出し物。マヤちゃんには、雪国くんがダイヤモンドの原石に映っていたに違いない。

     わたしが彼を変えてあげたい。

    のちに聞いた彼女の言葉が、私の耳にはすでに聞こえていたように思う。

    ・中高生ならともかく、チョコで恋が進展するわけがない。
    ・3年近くも同じ職場にいる者同士、いい仲になるなら、とっくになってるだろう。
    ・きっかけをくれてやらなきゃ動かない男なら、うまくいったところで、その後も一々お尻を突っついてやる羽目になりそうで面倒くさそう。

    こんな考えは、恋の狩人になったマヤちゃんを前にすると、自分の荒んだ心を現しているように思えた。
    他人の恋路に水を差す気はないので、私はマヤちゃんの勇気を称え、心から応援することにした。
    「ゴディバなら間違いないよ」
    と言っただけだけど。

    本気の告白チョコなんて、見たことも噂に聞いたこともなかった。それも彼女の年頃なら当然、“結婚”の二文字があったはず。
    もしかしたらチョコごときがきっかけで、とんとん拍子に結婚まで行ってしまう奇跡が起こるかもしれない。

    私は他言しなかったのだが、開けっぴろげなマヤちゃんの企ては、他の部署の女子たちにも知れていた。その誰もが、そんな期待に興奮していたように思う。

    バレンタイン・デー当日、昼休みがまもなく終わろうとする頃に更衣室に入って行くと、
    「やりましたよ、やりましたよ!」
    と、ある女子が教えてくれた。
    化粧直しを終えかかっている誰もが満足げな表情に見えた。
    と、
    「アイツ、まさかゴディバを知らないなんてことないですよねえ?」
    辛口のアイちゃんの発言に、皆が爆笑した。
    べつに雪国くんを馬鹿にしたのではなく、彼女は単に場を盛り上げようとしただけのこと。のはずだが、5%くらいに「まさか」と思ったのは私だけじゃなかったかもしれない。

    当のマヤちゃんは、落ち着きはらった様子で早々と自分の席にいた。彼女の体からは、やり遂げた感のオーラが放たれているようだった。
    今度は、私がひそひそ声で彼女に尋ねた。
    「メッセージとか付けた?」
    いつになく情熱的な目が「もちろん」と答える。

     “今度、飲みにいきましょう。”

    そのメッセージとゴディバが雪国くんにどう伝わったかはともかく、私は今でもあのバレンタイン・デーを忘れない。
    もっと言うと、その1ヵ月後のホワイト・デーのほうが忘れられないのだが、それはまた今度、書くとしよう。

    プロフィール

     葉月いお

    Author: 葉月いお
    オフィシャル基地<io日和
    ―魚の庭― Photo綴り
    極楽とんぼの「映画会」
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